北原照久氏。世界的にも、ブリキのおもちゃコレクターの第一人者として知られている
北原照久氏。世界的にも、ブリキのおもちゃコレクターの第一人者として知られている
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 5月30日に創刊された隔週刊「トミカ 歴代名車 COLLECTION」は、タカラトミーが厳選した歴代名車を、その詳細を解説したマガジンとともにお届けするシリーズ。スポーツカーからはたらく車まで、毎号付いてくるトミカはオリジナルデザインで、これを集めると、唯一無二のトミカ・コレクションが完成する。

【動画】6月13日発売の2号収録の「スバル 360」の動画はコチラ

 創刊を記念して、マガジン巻末に収録されるリレーコラム「My car, My mini car」をAERAdot.にも配信。「スバル 360」を取り上げた6月13日発売の2号のコラムは、ブリキのおもちゃ博物館の北原照久館長による「私 とクルマとコレクション」だ。

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 僕の青春時代は、アメリカ文化とともにあった――。これは、偽らざる実感です。歴史や伝統を大切にする心を教えてくれたのがヨーロッパなら、アメリカはスポーツマインドをベースにした、根っからの明るさを教えてくれたように思います。そんなアメリカを日本に居ながら感じられるのがクルマです。

 特にアメ車は、アメリカ人にとって生活の一部であり、車こそがアメリカ。以前に乗ったことのあるトランザムは、僕たちの世代の中でも人気の高かった車で、アメリカそのものに乗っているような気分にさせてくれました。当然、僕のおもちゃコレクションにも、アメ車、ヨーロッパ車、そして国産車などの、たくさんのブリキのおもちゃや、ミニカーが多く含まれています。

 僕が25歳の時、街のおもちゃ屋さんのケースの下のほうで見付けた、ほこりをかぶっていたブリキのおもちゃ第1号も消防自動車(クルマ)でした。特に1950年代から60年代のブリキのおもちゃは輸出の花形。Made in Japanのおもちゃを輸出することによって貴重な外貨を獲得していました。

 実車の世界でも自動車業界は戦後のモータリゼーションが拍車をかけ、日本でも1965年頃から自家用自動車交通が急速に発展しました。当時18歳で免許を取り、オーナードライバーになることが夢だった時代。クルマに対する憧れは誰もが抱いていました。そこに目を付けた日本のおもちゃメーカーは、ありとあらゆる車種のクルマのおもちゃを発売。子どもたちのクルマに対する人気も高かった。

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日本のおもちゃを世界最高水準に引き上げた原動力