筆者の近藤康太郎氏
筆者の近藤康太郎氏
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 朝日新聞で、コラム「アロハで猟師してみました」や「新聞記者の文章術」を担当する近藤康太郎のもとには、文章の書き方や勉強の仕方を学ぶため、社内外の記者が集まってくる。その文章技法を解説した『三行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾』(CCCメディアハウス)に続き、読書法や勉強の仕方についてまとめた姉妹編『百冊で耕す <自由に、なる>ための読書術』(同社)が刊行された。自分を耕し、育てる本の読み方とは? 読書の効果とは? 一部を紹介する。

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勉強のためにしか本を読まない
小林秀雄の挑発

 批評家の小林秀雄はかつて、「わたしは、勉強のため以外に本を読むことはしない」と書いた。小林のこの言は、いわば挑発だ。講演などで若い学生に話すことも多かった小林は、いつも挑発している。若い人を、鼓舞している。応援している。その挑発に、あえて乗りたい。

 ところで「勉強」とはなにか。ふつう考えられている勉強は、試験のための「傾向と対策」だろう。小林は、そしてわたしも、勉強とはそんなことではないと思っている。

 天行健。君子以自強不息。

 天行健なり。君子、もって自ら強(つと)むることやまず。(『易経』)

 天体の星々が回転するのをやめないように、君子たるべきものも、自ら勉強することを休むことはない。

 「強」には、弓をいっぱいに張る、という意味があったようだ。知識をため込む、試験に受かる、昇級・昇格するということとは、ほとんどなんの関係もない。勉強とは、自らを律する、鍛えるということだ。とすれば、勉強にはふたつの特性があることになる。

「勉強」とは何か:
ゴールも目的も見えない挑戦

 その一。勉強は、終わりがない。ここまですればいい、というゴールがないのが、勉強の特性だ。人間、ここまで強くなればもうOK(メンタルにおいてもフィジカルにおいても)ということが、あるはずがない。

 いつまでも続く。世界を、人間を、馬鹿にしてはいけない。勉強は、死ぬ日まで続く。自分をあきらめる日まで続く。

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