「公共訴訟とはダヴィデとゴリアテの戦いのようなものです。原告は資金も人も潤沢な国を相手に戦わなくてはならない。手弁当に近い形で引き受ける弁護士は『聖人』のように感謝されることもありますが、引き受ける人は限られます。引き受けたとしても、通常の弁護士であれば事務所経営もあり、関われるのは一生で数件。一方の国には100人以上の法律の専門家集団がいて、ノウハウも溜まっているのです」

 これまで日本で確定した法令違憲判決は、在外日本人国民審査権訴訟など11件のみ。対して、アメリカでは州レベル最高裁まで含むと500件超、ドイツでは700件以上になるという。コロナ禍で相次いで作られた法律や行政の施策に異議を申し立てる訴訟も、日本では飲食店の営業自粛要請など2件程度だが、ドイツでは営業停止など権利の侵害や制限を巡って1千件以上の訴訟が起きた。

「さらに日本では裁判沙汰という言葉に象徴されるように、裁判には関わりたくないという人が多く、裁判で国や行政の責任を問うことを躊躇しがちです」(谷口)

 それでも谷口が、変わらない社会を変える“武器”としての公共訴訟の可能性を信じているのはもう一つの経験がある。

■アメリカで目にした司法への期待や信頼

 谷口はガーナ人男性の控訴審後、日本の司法に絶望してアメリカの大学院に留学した。ソーシャルワークを専攻し、一度は法律以外の方法で貧困問題などに取り組もうと考えていた。もう一度司法界に希望を見いだし、引き戻されたのは、ある光景を見たからだ。

 当時アメリカではトランプ大統領が誕生し、イスラム圏の国からの入国を制限する大統領令を発していた。アメリカの変貌にショックを受けていた谷口が目にしたのは、空港に駆けつけた弁護士たちが床に座り込んだイスラム圏の人たちに話を聞いて回る姿だった。数百人単位の弁護士が大統領令の無効を訴える仮処分申請を支援し、その動きを支持する動きがネットで広がり、寄付は数十億円規模で集まっていた。

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