城之内早苗(撮影/戸嶋日菜乃)
城之内早苗(撮影/戸嶋日菜乃)

「寮に行ったら、河合その子ちゃんがいたんですよ。そのちゃんは私よりも3つ上だから、いろんなことを手取り足取り、教えてもらいました。寝坊して、遅刻して怒られるのも一緒でした(笑)」

 寮の部屋は6畳一間の個室。風呂は共同だった。人気アイドルらしからぬ生活にも思えるが、寮での生活は貴重な体験だったという。

「女子寮はソニーに勤める女性社員がほとんどで、おニャン子は私とそのちゃんだけ。食事を摂るのも、お風呂に入るのもいつもそのちゃんと一緒でした。それぞれの部屋があるのに、私の部屋に布団を2枚敷いて、一緒に寝ていましたね。浜田省吾さんや爆風スランプの曲が入ったテープをかけながら、2人でおしゃべりして、気がついたらそのまま寝てたなんてこともしょっちゅう。寮母さんは毎日の食事以外にも、私たちの階に置いてある冷蔵庫にいつもケーキや果物を入れておいてくれたから、太っちゃって(笑)」

 後に、同じ寮に国生さゆりや渡辺美奈代も入って来たという。

「そのちゃんが寮を出て、さゆりちゃんや美奈代ちゃんが入って、その後は私が出たりして、結構入れ替わりがありました。さゆりちゃんは忙しそうでほとんど寮で見かけることは少なかったですね」

 メンバーはそれぞれが会員番号を与えられた。河合その子は12番、高井麻巳子は16番、城之内は17番だった。

「私は会員番号17番でしたが、実質、活動していたのは12~13人くらいだったと記憶しています」

 この頃はまだそれほど売れていなかったが、すぐ後に、デビュー曲「セーラー服を脱がさないで」をリリースすると、一気に人気に火がついた。番組は月曜から金曜の17時半スタート、全国ネットで放送された。

「番組には毎日出ていましたね。でも、私たちは普通の高校生で、アイドルという感覚は全くなかったんです。日当の高いアルバイトという感覚でした。みんなで『クラブ活動やって、お金がもらえるのは楽しいね』って言っていました。テレビ局のスタッフからは『あなたたちの本業は高校生なんだから、学校を休んで出演するのはダメ』と教え込まれていました。だから、出席日数が足りなくて卒業が危ないのであれば、もう番組には来なくていいと言われてしまうんです。試験期間は遅刻したり、休んだりしてもOK。局では、ディレクターさんが家庭教師代わりになって勉強を教えてくれました」

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生稲晃子には応援演説も承諾