しかし、先の大戦後、中国の共産党は金門島に攻め込んだと水を向けると、

「それは台湾に逃れた国民党の軍隊が金門島に駐留したからこの島が戦場になった。私たちは犠牲者。当時とは構造が違う。いまの緊張は本省人の台湾と中国との間に起きていること。昔は国民党と共産党の内戦だったから」

 このあたりの感覚が難しい。金門島の中心部にある金城民防坑道から伝わる戦闘と、いまの台湾有事は構造が違うというのだ。金門島は台湾ではなく中国だと、あまりに自信ありげな主人の面もちだった。

 金門島の人々が広東粥を毎朝食べていたのは、そういうことだった。民宿で広東粥を食べながら、その意味が少しわかった気がした。

民宿の朝食に出された広東粥。とろりとした舌ざわり。香港で食べたという人は多い
民宿の朝食に出された広東粥。とろりとした舌ざわり。香港で食べたという人は多い

(下川裕治)

■しもかわ・ゆうじ 1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「沖縄の離島旅」(毎月)。

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