多和田葉子(たわだ・ようこ)/1960年、東京都生まれ。82年からドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。著書に『犬婿入り』(芥川賞)、『雪の練習生』(野間文芸賞)、『献灯使』(全米図書賞翻訳文学部門)など(撮影/写真映像部・上田泰世)
多和田葉子(たわだ・ようこ)/1960年、東京都生まれ。82年からドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。著書に『犬婿入り』(芥川賞)、『雪の練習生』(野間文芸賞)、『献灯使』(全米図書賞翻訳文学部門)など(撮影/写真映像部・上田泰世)
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 82年からドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける作家の多和田葉子さんが初めて臨んだ新聞連載小説『白鶴亮翅』が出版された。執筆では「日常生活」を意識し、自身が十数年続けている「太極拳」を題材に使用。文学と幽霊などの作品にまつわる思いのほか、ドイツと日本の移民問題についても聞いた。AERA 2023年6月26日号の記事を紹介する。

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『白鶴亮翅(はっかくりょうし)』(朝日新聞出版)の著者・多和田葉子さんが太極拳をはじめたきっかけは、小説同様に近所の人に「一緒に太極拳の学校に来て」と言われたことだったという。

「日本にいた時は、いわゆる東アジアの格闘技が好きではなくて近寄らないようにしていました。でもドイツの私が通っている太極拳の学校は、東アジアの格闘技にありがちな精神主義とは真逆で非常に科学的な考え方をするドイツ人女性の先生です。解剖学や自然科学的な見地から見て、太極拳は非常に合理的であると。そういうことからここの骨がこうなって、この神経がこうなっているよと現代医学みたいな感じで太極拳の動作を説明してくれます。どんなに下手であっても、なにが理由でそうなってしまうのか、よくするためにどういうふうにすればいいのかを全部言葉にできる人なんです」

「中国医学だけではなく西洋医学、中国の文化と西洋の文化の出合いでもあり、全く逆方向から来ているように見えるけれど、太極拳の動きを通してみれば同じなんです。日本はこうで、ヨーロッパはこうでとか、一見全然違うように思えることであっても、よくよく見てみると同じことを言っている場合があるんですよね」

武道であり、健康法でもあり、舞でもある太極拳。型の一つ一つに名前がついており、「まるで戯曲のよう」と多和田さん
武道であり、健康法でもあり、舞でもある太極拳。型の一つ一つに名前がついており、「まるで戯曲のよう」と多和田さん

■死人に口あり

 精神主義ではなく科学的な根拠を交えながら太極拳の動きをわかりやすく説明する一方で、見えない何かに怯える描写も秀逸だ。

 主人公の美砂は、クライストの短篇「ロカルノの女乞食」を翻訳しているが、ロカルノの女は死んで幽霊になった。また、太極拳仲間のロザリンデはバスタブに現れる幽霊に悩まされている。

「私は幽霊を見ないタイプですけど、文学の中の幽霊にすごい関心があるんです。夢幻能も好きで、あれは文学の形として誰かが死んだ、しかも悔しい死に方をしたっていうのがあって、その人が幽霊となって出てきて、自分の物語を語ります。殺されるのは女の人が多いけど、負けた方の侍を主人公にして、その侍が幽霊になって戻ってきて、歴史を負けた側から語り直すのです。だいたい歴史というのは勝った側の視点で語られます。そこに幽霊が出てきて負けた側の視点を語り直すって、これがやっぱり文学の課題だと思うんですよね。シェイクスピアでも出てくるように、世界文学的に見ても幽霊っていうのは、非常に重要なものなのです。お岩さんもそうですけど階級闘争ですよね。虐げられたとか、個人の労働条件が非常に悪かったということを、幽霊になって語るんです。文学では、死人に口なしじゃなくて、死人に口ありですよ(笑)」

 ベルリンで暮らしながらも、日本、東プロイセン、ロシア、フィリピンなど、登場する人物の生まれ故郷はそれぞれ。本作で描かれているのは、なに一つ大げさではない多様性の姿でもある。しかし、少子高齢化対策として積極的に難民を受け入れてきたドイツとは違い、日本での難民申請の認定率は1%未満と非常に厳しいのが現実だ。奇しくも日本では、難民申請中であっても強制送還できる改正入管難民法が成立したばかり。

「たくさんの民族とか、いろんな文化の人が住んでいても、それがお互い無関係のままに住んでいると、問題が出てきます。その人と人との交流っていうのが一番大切なんです。それをいかにして作り上げ一つの社会にしていくかというのは、個人個人がたくさんのことを学ばなければいけないわけで、決して簡単なことではありません」

「だからと言って、難民を排除したから日本が安心して楽しく暮らせる社会になるかというと、逆だと思うんです。ドイツはいろんな人が入ってきていますが、だからこそ人間関係が楽になっている部分があります。人はみんな違うっていうことがわかるから、簡単に仲間外れにしたり、自分が変わっているんじゃないかといった劣等感や疎外感を持ちにくい。単一民族にしようとすればするほど、かえって息苦しい社会になると思います」

(構成/編集部・三島恵美子)

AERA 2023年6月26日号より抜粋