TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。「映画『せかいのおきく』」について。
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後世に語り継がれる見事な青春映画である。奥深さと人情、厳しい現実にくじけない強さと煌(きら)めきに、長年の盟友・阪本順治の映画はここまで来たかと唸(うな)ってしまった。
武家育ちながら長屋住まいのおきく(黒木華)は子どもたちに読み書きを教えている。突然の雨に厠(かわや)のひさしに走り込むが、そこには紙屑拾いの中次(ちゅうじ、寛一郎)と下肥買いを生業とする矢亮(やすけ、池松壮亮)がいた。階級を超えたボーイ・ミーツ・ガールの構図が初々しい。
驟雨(しゅうう)は幕末の混乱を、やがて晴れるであろう空は明治維新、そんな空を見上げる三人の将来をこのシーンは言葉もなく祝福している。
矢亮の相方となって糞尿を買い歩く中次は、長屋の厠でおきくの父源兵衛(佐藤浩市)と鉢合わせになる。「なあ、『せかい』って言葉、知ってるか?」と源兵衛が用を足しながらこう諭す。「惚(ほ)れた女ができたら言ってやんな、俺は『せかい』でいちばんお前が好きだって。これ以上の言い回しはねえんだよ」
海の向こうには大きくて果てしない「世界」が広がっていると源兵衛は教えている。周知のように中次を演じる寛一郎と源兵衛の佐藤浩市は親子である。
上司の不正を訴えて逆恨みされていた源兵衛はやってきた侍に囲まれて路地の向こうへ消え、何かを察したおきくは小走りに父を追う。
横たわった源兵衛の微(かす)かな息遣いと背中の傷に一太刀の酷(むご)さを感じた。
少し離れた場所でおきくが喉(のど)元を斬られている。
彼女は声を失い儚(はかな)さと絶望を覚えたが、物語はそこから希望へ向かう。
この作品は阪本組で美術監督を務めてきた原田満生の発案だという。「循環型社会について映画を作りたいって言ってきてね」と阪本監督。「自分は気候変動のために何かをしているわけではないし、綺麗(きれい)な言葉を連ねて(映画を)作る資格はない」と思ったが、「企画書には江戸期の食と糞尿の経済が書かれていた。西洋では糞尿は川に捨てる。金を出して引き取ってもらうのに、日本では買ってくれると宣教師が記しているとあったんです」