よく「ミッツさんのような存在は、たくさんの人たちを生き易くしている」などと言われますが、その度に私は「開けっぴろげにしたくてもできない人たちにとっては、却って私の存在は迷惑だったり、場合によっては追い詰めたりすることもあるはずだ」と、自分自身に警鐘を鳴らすようにしています。

 特に最近は「ミッツのような人でもテレビに出ているのだから、そもそも日本には差別などない」という、もはや誤解の域をも超えた危険な論調があります。とんでもないことです。そういう人に限って、「今時、そんなことを雑誌に暴露されたぐらいで死のうなんて思わないだろう」などと物知り顔で言っているようですが、まだまだ人は「そんなこと」ぐらいで死にます。

 たとえその言動に責められるべき側面があったとしても、常日頃から警戒心を抱えて生きていた人だからこそ、「そんなこと」ぐらいで取り乱し、究極の選択に突き進んでしまう。そして、そんな取り乱した我が子にずっと寄り添ってきた母親が「ならばいっしょに死のう」と思ったとしても、何ら不思議ではありません。

「だから暴くのをやめろ」とは言いませんが、ジャーナリズム云々以前に経済活動としてやっている以上、暴く側にもそれ相応な覚悟を持って頂きたいなと思う次第です。

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