日本の裏側は今、夏真っ盛り! ところで、ユーカリと並んでオーストラリアを代表する植物「バンクシア」をご存知でしょうか。名前の由来は、あのキャプテン・クックの航海に同行していた、ジョゼフ・バンクスという人。植物学者であり、プラントハンターでした。命がけで収集・記録した植物たちの姿が、200年の時を経て日本で公開されています。

キャプテン・クックの船には科学班があった

キャプテン・クックことジェームズ・クック。卓越した航海術で世界中の海を旅し、ハワイ諸島の発見や数々の島の正確な地図を作成した海洋探検家で「世界地図を塗り替えた男」といわれています。
1768年8月、クックは王立協会の派遣で、英国軍艦エンデヴァー号の指揮官としてイギリスのプリマス港から南太平洋に出帆します。その第一目的は、タヒチでの金星の太陽面通過の観測でした。金星の太陽からの距離を正確に算出することで、他の惑星の太陽からの距離も算出できるのではと期待されたのです。
その船には科学班がおかれ、観測を担当する天文学者らの他に、植物学者や画家も加わっていました。25才のバンクスは、クックの3度の航海のうち第1回航海(1768〜1771)に同行しました。彼はのちに王立協会の会長を42年間にわたって務め、イギリスの自然科学会の発展に大きく貢献した「自然史の父」。世界各国にプラントハンターを派遣して植物を収集し、英国王立のキュー植物園を現在あるような世界の植物学センターへと育てあげたことでも知られています。
南太平洋の島々は、ヨーロッパ人が初めて目にする未知の植物の宝庫でした。それぞれの寄港地で、バンクスや植物学者ソランダーが記録に値すると判断した植物を船に持ち帰り、画家のパーキンソンがドローイングにおこす、という作業が毎日暗くなるまで行われたといいます。

200年越しの『バンクス花譜集』

航海は3年におよび、ソサエティ・アイランズ(タヒチ島を主島とするポリネシアの群島)→ニュージーランド(クックたちはヨーロッパ人として初めて上陸)→オーストラリア(東海岸をヨーロッパ人として初めて発見)→ジャワ(東インド会社の首府があったが、衛生状態が悪く多くの死者が出る)を経て、イギリスに戻ります。 約90名いた乗組員のうち、画家パーキンソンも含め1/3以上が命を落とすという過酷な旅でしたが、 クックがザワークラウト(キャベツの漬け物)等の摂取により壊血病の死者をひとりも出さなかったことは、当時の航海では考えられない偉業でした。
帰国後、故パーキンソンが残したドローイングをもとに図譜集が企画されますが、彫版まではこぎつけたものの、資金不足等の理由からバンクスの生前に発行されることはありませんでした。
それから200年以上たった1980年代。 大英博物館に保管されていた銅版を用いて、限定100部でようやく出版されたのが『バンクス花譜集』です。 全743点ある植物版画の中から厳選された120点が、東京・渋谷の美術館で展示公開されています(会期等の詳細はリンク先参照)。

山火事で子孫を残すバンクシア

展示会場は、寄港地に沿って航海道具や滞在先の民族資料も紹介され、航海を追体験しながら植物画を堪能できる仕組みになっています。船の生活時間を知らせるベルやエンデヴァー号の模型に、航海のイメージが膨らみます。
『バンクス花譜集』の半数近くは オーストラリアの植物! この地でいかに多くの植物学的発見があったか想像できますね。バンクス自身の名を冠する「バンクシア」は、ユーカリと並びオーストラリアを代表する植物です。そのワイルドな見た目から、本国の絵本では「かわいいユーカリをいじめる悪役」的なキャラクターにされてしまったりもするようですが、蜜が多く庭木としてもとても人気があるそうです。乾燥地域であるオーストラリアは、自然発火の山火事が多く発生します。普通なら植物も焼き尽くされて絶滅してしまいそうですよね。ところが、ユーカリもバンクシアも、山火事を利用します。熱に炙られると、硬い殻が弾けて中の種が飛び散り、次に降る雨で一斉に発芽することで子孫を残すというのです。その地ならではの植物の営みに、バンクスたちは心躍らせたことでしょう。
フラダンスの腰巻きを作る植物、食べ物や遺体を包む植物、麻酔性の飲み物ができる植物、「薮の中のトイレットペーパー」とされる植物・・・その地の生活に密着し生かされている植物たちの美しく蘇った姿は、じっと見ていると立体的に思えてくるほど、生き生きと存在が伝わってきました。

各寄港地の説明パネルに見える星空には、なんとプラネタリウムで再現した上陸日の星座が!
未知の植物を求めて、ロマンの旅に出てみてはいかがでしょうか。