『ジャズの歴史 100年を100枚で辿る』中山康樹
『ジャズの歴史 100年を100枚で辿る』中山康樹
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 ぼくは最近、前述した3種類の「ジャズの歴史」の「混在」をテーマのひとつとして本を書いた。『ジャズの歴史:100年を100枚で辿る』(講談社+α新書)。そのとき、改めて実感したのは、初期から40年代にかけて、ということはジャズ録音史100年の約半分にあたる前半には、いささか極言ながら、いわゆる「名盤」がないということだった。たとえばテナー・サックス奏者レスター・ヤングは、たとえどのような観点からであれ、絶対に外せないと思っているが、「この1枚」となると思わず逡巡してしまう。初心者用でもマニア用でもない、「ちょうどいい盤」が見当たらないのだ。それからもう一点。ぼくは「この1枚・名盤・推奨盤」に挙げるアルバムが、必ずしもそのミュージシャンの最高傑作や歴史を塗り替えたような重要作である必要はないと思っている。

 さて、先のレスター・ヤングの選盤における事態と同じようなことが、ジェリー・ロール・モートン、チャーリー・クリスチャン、キャブ・キャロウェイといったミュージシャンにも起きた。つまり12インチLPが開発・普及する以前に全盛時代を迎え活躍したミュージシャンたちの演奏は、その多くがSP時代に吹き込まれ、その後オムニバス盤もしくはコンピレーション盤の一収録曲として扱われ、さまざまなかたちで流通してきた。

 時間は経ち、時代は変わり、しかしぼくにはジャズの初中期に残された音源に対する扱いにさほど大きな変化があったとは思えない。もちろん、かつての百科事典のように「開かない(聴かない)」集大成盤やボックス・セットは出ているが、そうした「奥の間」へと通じる、要は玄関に該当するCDがあまりにも少ないことに愕然とする。ただし急いでつけ加えれば、ぼくが望んでいるのは、それ自体が「オリジナル」としての主張とコンセプトをもった企画・編集盤である。

 最後になって前言を翻すようだが、ジャズの起点をスコット・ジョプリンに置こうが、あるいはジャズ録音第1号に置こうが、じつはぼくには「始まり」はさほど重要とは思えない。それこそ起点は無数に存在している。それよりなにより、ぼくは「始まったこと」と「それから」に目を向けたい。そして、ジャズの初中期がどのように始まり、どんな革新的な演奏が残されたのか、猛烈に知りたい、聴きたいと思う。そのとき、必要なCDはどこかにあるのだろうか。「これ1枚で十分」と、太鼓判を押してくれるようなCDは出ているのだろうか。

 50年代は、12インチLP時代が本格的に到来したことによって「名盤の時代」と化した。しかしそれ以前にも「名演」は生まれていた。50年代以後に生まれた数多くの名盤に比肩する「名盤になれなかった名演」が、おそらくは「ジャズの歴史の下半身」を埋め尽くす日がくるだろう。ジャズ録音史100周年に準備すべきは、前述したように、ジャズの初中期を飾った巨人たちの名演を収録した、あくまでも入りやすい、聴きやすい「新たな名盤」であり、その意味でぼくは、「名盤の歴史」を、50年代60年代のような自然に「生まれる時代」から誰かが「つくる時代」へと、半ば強引に移行させてもいいと思うのだ。次なるジャズの100年のために。(筆者注:この原稿はジャズジャパン誌Vol.51に掲載されたものを加筆したものです)[次回1/19(月)更新予定]