『THE CONCERT FOR BANGLADESH』GEORGE HARRISON & FRIENDS
『THE CONCERT FOR BANGLADESH』GEORGE HARRISON & FRIENDS
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 1971年8月1日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたコンサート・フォー・バングラデシュ(14時半開演と20時開演の2回)は、ロック界初の本格的なベネフィット・コンサートとして、歴史にその名をとどめてきた。提唱者はジョージ・ハリスン。ビートルズ時代後期からインドの音楽、文化、哲学に深く傾倒するようになった彼は、尊敬する音楽家ラヴィ・シャンカールから相談と依頼を受け、独立戦争の余波が原因で深刻な飢餓に苦しむバングラデシュの難民を救済するための音楽イベントを企画したのだった。

 細部に若干の違いがあったようだが、2回のコンサートは、ラヴィ・シャンカールの伝統音楽演奏(ユーモアも交えて企画の趣旨を明確に伝えるトークが素晴らしい)、ジョージとスペシャル・バンドの演奏、リオン・ラッセルを中心にしたパート、ボブ・ディランのコーナー、ジョージを中心にしたフィナーレと進んだ。その間に、リンゴ・スターやビリー・プレストンをフィーチュアしたパート、ジョージのアコースティック・セットもはさみ込まれていくという、じつに多彩な内容だった。

 前年の『オール・シングズ・マスト・パス』につづいてフィル・スペクターが作品化のプロデュースを手がける予定だったこともあり、ステージ上でウォール・オブ・サウンドを再現するため、ニューヨークには30人近いミュージシャン/シンガーが招かれている。そのなかに、エリック・クラプトンの顔もあった。

 デレク&ザ・ドミノスは、全米ツアーはなんとか終えたものの、2作目に向けたセッションの途中、些細なことが引き金で、呆気なく分裂している。アルバム『レイラ』に込めた想いがパティに届かなかったこと、ジミ・ヘンドリックスの急死などもあり、クラプトンはますます深くドラッグに依存するようになっていた。リハーサルもこなせないような状態だったそうだが、ジョージにはなんとか親友を立ち直らせたいという考えもあったのだろう。《ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス》では当然の流れとしてソロを任されているものの、それも生彩を欠くものだった。

 記録によれば、このあと彼は、リオン・ラッセルのコンサートのゲストとして同年12月にライヴを聞かせているが、それから73年1月の『レインボウ・コンサート』までは、ほぼ完全に表の世界から姿を消すことになる。[次回11/26(水)更新予定]

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