■父の蔵書 ――マルクス全集から三国志まで

 私が小学生だった敗戦直後の4年間、テレビはもちろんないし、ラジオ放送も公共の2放送に限られていた。そのせいか、私はよく本を読んだ。

 幸い家には父の蔵書がたくさんあった。「世界美術全集」「世界文学全集」それにエンジ色の厚い表紙の付いた「マルクス・エンゲルス全集」もそろっていた。

 もっと軽い本もあった。「日米もし戦わば」の表題の本には日米両国の軍艦の写真が何枚も付いていた。

 そんな中で私が熱心に読んだのは吉川英治作「三国志」。青い紙表紙の13巻本。紙の質は悪かったが、丁寧にルビがふってあった。

■店の衝立

 私が疎開した「名柄の家」には、「店」と呼んでいた玄関脇の8畳の和室に両替商の頃に銀子の目方を量った分銅秤が飾られており、その前には大型の衝立が置かれていた。その衝立の図柄が花鳥でも山水でもなく髯面の男3人だ。

 小学校の4年生の頃、私はこれが劉備と関羽と張飛の三傑の桃源の誓いだと発見し、父に告げた。

「そうだ。よく分かったな」と一応は褒めてくれた。だがすぐ「3人の義兄弟は有名だがこの人たちの本当の兄弟はどうしたのかな」と尋ねた。私は答えられなかった。吉川英治の「三国志」全13巻でも語られていない。長じてのちに読んだ羅貫中の「三国志演義」の訳書にもない。さりとて3人共一人息子だったという記述もないのである。

■人口問題への誘(いざな)い

 高校生になると、私は東洋史に関心を持つようになり、「三国志」の時代の社会問題にも関心を広げた。その中で「三国時代は人口減少期、北方諸族の侵入が相次ぐ混乱時代」と知った。

「ははあ、それで孫権や曹操、諸葛孔明のような名門は家族がはっきりしているが、劉備や関羽や張飛らは流浪の民、家族も兄弟もよく分からないのだ」との結論に達した。

 実はこのことが、私に人口問題に関心を持つきっかけになった。「歴史を人口から見る」巨視的な観点である。

 30年近くのちの1975年、私は月刊誌「現代」に「団塊の世代」の連載をはじめた。敗戦直後、私が玄関の衝立の図が「桃源の誓い」だと気付いた頃に生まれた人口が大きな固まりとなって日本の未来を揺るがす、という発想は、幼い日の父の質問に答えるものだったかも知れない。

 人口の増減こそ、歴史の流れをつくる鍵である。大抵の場合、人口減少は経済文化の衰退の原因だが、時には経済文化の発展にもつながった。14~15世紀のイタリア半島はその好例である。これを発見した頃、「この3人の本当の兄弟はどうしたのかな」という質問を発した父は、残念ながら私の『団塊の世代』を読むことなく、その前年に他界していた……。

(週刊朝日2014年9月26日号「堺屋太一が見た戦後ニッポン70年」連載9に連動)