茨木のり子の詩「六月」に次のフレーズがある。
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
この詩を愛する人は多いが私もその一人。殊に「食べられる実をつけた街路樹」に夕日が差している光景を思い浮かべたとき、人間の暮しの真の豊かさはそのようなところにあるのだろうと思った。
実際に、中国の厦門(アモイ)にはマンゴーの街路樹があるという。厦門に住んでいた友人は「私はマンションの2階にいたから、窓から手を伸ばせばマンゴーが採れた」と言った。スペインのセビリアにはオレンジの街路樹があると聞く。どちらの街にも明るく大らかな風土が感じられる。くだもののもたらす幸福感を街の人々で分け合っているようにも思われる。
ここに、くだものの優しさと豊かさが満載された本が誕生した。開巻すると、1月は苺、2月は枇杷、3月は文旦などと12月まで、その月の代表的なくだものの写真が12章の扉を美しく飾っている。
「2月は枇杷」に違和感を覚える人がいるかもしれない。「枇杷は夏のくだものではないのか」と。確かに枇杷は夏の季語である。だが「ハウス栽培などの技術が進歩し、早いものでは二月から出回るようになった」と解説がある。なるほど、この本は銀座千疋屋の店頭に出る時期を基準に作成されているのだった。2月のくだものと言えば柑橘類しかないと思っていた私はさっそく認識を改めた。まだ肌寒い季節に、甘い枇杷を贈られた人は「ほおっ」と声を上げて喜ぶだろう。同様に、6月の代表的なくだものは葡萄となっている。葡萄狩りの季節は秋だが、銀座千疋屋に行けばマスカットオブアレキサンドリアは5月下旬から、巨峰は5月中旬から、旬のものとして買うことができる。
本書に取り上げられたくだものは30種類、品種は70を越す。すべてに写真が付き、切り口の写真も添えられているので瑞々しさが伝わってくる。それぞれの種類に「見分け方」「おいしく食べるには」「保存方法」「栄養と効能」「豆知識」の項目があり、ところどころに調理のレシピも挿入されている。
「栄養と効能」の項目からクイズ形式で少し紹介しよう。1、咳止めやのどの痛みの抑止に効果があるくだものは何か。答えは金柑。2、栄養が豊富でくだものの優等生と言われるものは何か。答えはバナナ。3、一日一個を食べれば医者を遠ざけると言われるものは何か。答えは林檎。ここまではほぼ常識かもしれない。
少し難度を上げてみよう。肉料理のあとにデザートとして食べると消化を促進する「くだものの女王」と称されるものは何か。β-カロテンの含有量がトップクラスで、がん、動脈硬化、高血圧の予防になるくだものは何か。健康効果があって女性に人気の「奇跡のフルーツ」と称されるくだものは何か。これら三つの答えは本書の中にあるので、ここでは明かさないでおくことにするが、どれもこれも実に健康に良い成分を含んでいることが分かった。
生産量が少ないために「幻の」と冠されるくだものの情報も楽しい。黄金に輝く幻のプラム「峰満イエロー」は山形県で数軒の農家だけが栽培。ツウのみが知る貴重な葡萄「ルーベルマスカット」も紹介されている。
歴史的なエピソードもおもしろい。鞍馬山で修行をしていた牛若丸はあけびの蔓などを塩漬けにしたものを常食としていたという話。天皇の料理番が「果実の王」と絶賛したのは「コミス」という西洋梨だったことなど。
表題となるくだものは漢字で表記されている。「西瓜」「無花果」「桜桃」は馴染みがあるが、「鰐梨」がアボカド、「芒果」がマンゴー、「鳳梨」がパイナップル、「◯(けものへんに彌)猴桃」がキウイフルーツと知って驚いた。
扉に添える俳句選びを手伝わせてもらったが、短い十七音にはそのくだものへの親しみや懐かしさがぎゅっと詰まっていて、くだものの甘い香りのように癒やしてくれた。
くだものにまつわる情報が植物学者の目からではなく、生産者側からでもない、食卓で味わうという視点から編まれた実用の書である。しかし実用一点張りではなく、どこかにロマンが感じられるのは、くだものが豊かな自然の賜であるからという理由に加えて、最上のものを提供することに徹してきた銀座千疋屋の見識とゆとりから編まれたという背景に因るのではないだろうか。
食卓のそばに置いて季節ごとに読み進みつつ、旬のくだものを味わいたいと思う一書である。