ぼくたちは見張られている。誰に? アメリカ政府に。
アメリカ情報機関の元職員、スノーデンが、重大な機密情報をイギリスの有力紙ガーディアンで暴露した。合衆国国家安全保障局(NSA)が、電話やインターネットの交信を盗聴したりのぞき見たりしていたというのだ。しかも対象には同盟国の首脳まで含まれていた。21世紀最大のスキャンダルだ。グレン・グリーンウォルドの『暴露──スノーデンが私に託したファイル』は、この情報を受け取って報道したジャーナリストの手記である。
テロ対策を口実にすれば、もう何でもありらしい。言論の自由もプライバシーの尊重もあったもんじゃない。グーグルやフェイスブックはとても便利なものだが、それはひそかに情報を集めて人びとを監視する国家にとっても便利なものなのである。
内容は大きく分けて二つの部分からなる。前半は著者がスノーデンから情報を受け取って公表するまで。当局に察知されまいと、慎重にことを運ぶスノーデン。ガーディアン幹部と交渉する著者。まるでスパイアクション映画のよう。
後半は、国家が人びとを監視する意味についての考察だ。「見られている(かもしれない)」と意識することで、言論や表現が萎縮していくプロセスがよく描かれている。国家が人びと(自国民に限らない)を監視するほんとうの狙いは、テロとの闘いではなく、世界をコントロールすることだ。
スノーデンや著者に対して、アメリカ政府当局が攻撃してくるのは当然としても、同業であるジャーナリストたちのなかからも批判(というよりも誹謗中傷)の声があがるのには呆れた。ジャーナリストが政府の飼い犬になったんじゃ、存在意義がないよ。
とはいえ、「見張られている」と「見守られている」は一字しか違わない。監視されることに慣れ、萎縮することに慣れ、そのほうが安心だと思っちゃっている自分はいないか?
※週刊朝日 2014年6月20日号