
※映画館では1000円で発売中
「震災から3年を経て今こそ、日本映画はいい方向に向かっています。これからどんどん良くなります!」という大林宣彦監督の高らかな宣言を聞いてじ~んとしたのは、今年の1月24日に行われた旧知の映像作家である安藤紘平・早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授(長い……)の最終講義@大隈講堂の際の、安藤教授と大林監督、山田洋次、奥田瑛二両監督との対談の中でのことだった。その時から5月に公開されるという大林監督の最新作『野のなななのか』の封切りを心待ちにしていたので、勇んで見に行った。
大林監督の言葉に嘘はない、魂のこもった渾身の作であるということを前振りにして、この項では映画パンフ(丁寧で真摯な編集)でも公式サイトにおいても触れられていない、監督の標榜される「シネマ・ゲルニカ」ならではのオリジナルな「技法」について書きたい。
本編2時間51分の間、一瞬たりとも音楽がやまないのだ。そしてその音楽はピアノをぽろ~んと弾いたり、柔らかなシンセサイザーの音を薄く引きのばしたりの「音楽を音響として潜在意識の中でひっそり響くように使う」といった軟弱な手法は一切使われていない。171分の音楽すべてが緻密な作編曲と、どの曲をどの場面に配するかという細心の計算と、すばらしい演奏によって成り立っている。見事としか言いようがない。
としかし、ここまで書いて、私の心は千々に乱れている。正直に言おう。このものすごい試みをほめちぎりたい気持ちとは裏腹に、この鳴りやまない音楽に「少し音楽をとめて息をさせて」と思っている自分も確実に存在している。そう。みんな普段は特別に意識してはいないと思うが、どんなハリウッド映画でもインド映画でも、音楽はやむときはやんでいる。そして我々はその音楽がやんだ時に、無意識のうちに脳を弛緩させているのだと思う。音楽の出し入れによって映画を観る我々のリズムが生まれてくるのだ。音楽人である私にはとぎれない音楽はちょっときつい(オペラは? たしかになあ。とぎれない音楽だなあ……ちと苦手か)
誤解のないようはっきりと言っておかなければいけないが、この『野のなななのか』の音楽は、映画のドラマを音楽によって効果的に引き立てていく、所謂「劇伴」と言われる音楽とは無縁だ。映像で繰り広げられていることと、絶妙で不思議な距離感を持って、常に超然とつかずはなれずに奏でられる独立した精神を持った音楽。それは、人の声=歌を次々にこれでもかこれでもかと畳み込んで聴かせていく『レミゼ』とか『アナ雪』といった世界ではもちろんない。この千々に乱れる心をなだめるために「シネマ・ゲルニカにおいては、アートとしてやれば何でも自由」とおっしゃる大林監督と「映画音楽」としてクレジットされているすばらしい感性と技術をお持ちの作曲家、山下康介さん、お二人の映画音楽対談をいつかきいてみたい気持ちでいっぱいだ。企画、お願いします!
今は171分の映画音楽漬けをもう一度味わいに行こうかどうか躊躇している。映画パンフに収録されている高畑勲監督との対談で「映画も本当は本や音楽と同様に何十回、何百回と見て欲しい」と言われる大林監督。この日本の宝である監督から投げられた、内角高めの重くてそれでいて手元で変化する入魂のストレートをかきーんと打ち返すには、私にはまだまだ体力も知力も足りないか……。
あっ、最後「パスカルズ」の存在がすてきだったことを言わねば! 彼らのすっとぼけているのだけど、どことなく胸がキュンとなるような練り歩き。野原の中の座敷童(変な言い方ですが(^_^;)のような存在。すばらしかった。とても心なごみました。ブラボー(^o^)
さあ、なんでもいいからみんなこの映画見に行こうよ! たまにはアートに思いっきりぶつかろうぜ\(^O^)/[次回6/16(月)更新予定]
■映画『野のなななのか』公式サイト
www.nononanananoka.com/