――多摩川を撮り続けられていますが、最初のカメラは?
キヤノンのオートボーイ。カメラに興味をもつようになったのは息子と川遊びをはじめて、息子を撮ろうと思ったからです。けっこう奮発して買ったのを覚えてます。ザ・ハンダースを解散して、もっとも食えない時期。バラエティーが苦手で、俳優になろうと下積みしてる状況だったんで仕事がなくて、1985年に東京・世田谷から川崎に引っ越したんです。で、引っ越したところが多摩川の真横だった。当時はまだゴミと洗剤の泡だらけの川で、泳げば結膜炎になるし、はいた長靴を置いておくだけで家じゅうくさくなっちゃうし、ひどかったですよ(笑)。川に人なんてだれもいなかったし。でもバッタをとったり、モグラの穴を見つけたり、ヘドロの中でザリガニをとったり。希少な魚はいないけど、雑魚たちが体を奇形させながら生きてるのを見て、B級俳優としてはブルブルッときた。「画面は真ん中だけじゃない、俳優は四隅だぞ!」ってね。
そのうち多摩川から奇形の魚がいなくなってきて、90年代後半には洗剤の泡の中からアユが飛びだすようになった。興奮して、「アユがいた、アユがいた!」と言ってもだれも信じてくれない。これは撮らなきゃダメだと思って、一眼レフを買いました。コンパクトカメラじゃ撮れないんですよ。発表するあてはないけど、とりあえず記録してたんです。
――そのカメラは?
ニコンFM2。なぜかというと、電池がなくても撮れるから。首からカメラをぶらさげて川で魚を撮ってると夢中になって、いつの間にか水没させてるんです。で、ぶっこわれるから決定的なときに使えない(笑)。FM2は水没させてもよみがえりましたね。
ある日、子どもたちが環境学習で多摩川に来たんですよ。水質調査してゴミ拾いして、「この川には問題がある。環境は守らなきゃいけない」なんて学習してる。それを見て、「ちょっと待て、この川がどんだけよくなったかわかってるのか」と(笑)。この川のゴミには魚卵がいっぱいついてるんです。水草がないから、魚がゴミに卵を産むんですよ。ゴミと思うと未来がないけど、これは卵のついた未来なんです。汚いと思われたままじゃ川のやつらがかわいそうだと思って、アユの産卵をビデオに撮ってダビングして、子どもたちに配ったりしたんです。それを親たちが知って、テレビのニュース番組で取り上げられるようになった。以来、大都市の川がどうやってよくなっていったのか、再生のプロセスを残しておくべきだと思って、おれ一人で記録し続けてるんです。いまは基本的に全部デジカメで撮ってますね。ニコンD7000です。
――多摩川の魅力は。
人が増えるとゴミが増えて環境に悪いとみんな思ってるけど、多摩川は人が積極的にかかわることで、河原から粗大ゴミが消えてどんどんきれいになったんです。いま、休日の土手は銀座みたいな人通りですよ。土手に咲く花をおれの造語で「土手菜」って呼んでるんですけど、土手菜と青空と散歩してる人を一緒に撮るために土手に寝っ転がるんです。するとね、たいがいの人が「なにしてんだろ、この人?」って目で見てくるわけですよ。人がやってないことをやると快感ですね(笑)。
カメラを持つだけで、四季折々の草花が発芽して、茎をのばして、花をつけるっていうのが楽しみになって、自分の家の近所がすごく魅力的になります。散歩が100倍楽しくなりますよ。春は1年に1回しか来ないから、タンポポを撮るのに失敗したら来年を待たなきゃいけなくてじらされるわけです(笑)。これが楽しくていいんですよ。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2012年1月号」に掲載されたものです