
ベイシー自身が率いたバンドは1963年5月、71年1月、73年11月、76年4月、78年5月、80年3月、82年3月、83年5月の都合8回来日、公演数は軽く100回を超える。1985年の春には生誕80年とリーダー歴50周年を記念した来日ツアーも予定されていたが、84年4月26日に惜しくも他界した。
社会人になった1973年以降の公演(大阪)はすべて観ている。毎回「今生の別れか」と通い続けたのだ。ベイシー亡きあとも1度は行った。サド・ジョーンズ(トランペット)率いる1985年11月の公演だ。目当ては楽団の至宝、フレディ・グリーン(ギター)だった。ベイシー詣での実体はフレディ詣でだったのだ。それがフレディの見納めに。その後のフランク・フォスター(テナー)、グローヴァー・ミッチェル(トロンボーン)、ビル・ヒューズ(同)等々が率いた幽霊バンドには関心がいだけず観ていない。筆者にはベイシーとフレディがいてこそベイシー・バンドなのだ。
バンドの黄金期はレスター・ヤング(テナー)らを擁した1930年代後半と、サドやフォスターらを擁した50年代後半とされるが、これにブッチ・マイルス(ドラムス)を擁した70年代後半も黄金期に加えていいのではないか。ブッチは第1期のジョー・ジョーンズ、第2期のソニー・ペインに負けず劣らずバンドを猛烈にドライヴした。20年おきとは! ブッチ在団中(1975-79年)の公式盤にはバンドとミルト・ジャクソン(ヴァイブ)との共演作、エラ・フィッツジェラルド(ヴォーカル)との共演作を含む5枚のスタジオ作と3枚のライヴ作がある。
推薦盤の音源は、1978年の来日時に静岡放送が浜松市民会館での公演を放送用に録音したテープだ。数年後に同局の倉庫に眠っていたテープが発掘され、関係者がパブロの総帥、ノーマン・グランツに3年間かけあった末に発売にこぎつけた。1985年、ベイシー存命中のただ1枚の“ライヴ・イン・ジャパン”が日米欧で発売される。
この日は22曲が演奏されたようだ。《シャイニー・ストッキングス》までが前半だろう。半数は第1、第2、第3黄金期の十八番で、あとは1960年以降のライヴ・ネタと初出曲だ。新旧のファンの期待に沿ったプログラムと言えそうだがグランツは容易に認めなかった。多くが当時の定番だったからだろう。
実際、22曲中8曲は『Montreux’77』(1977.7)に収録済みだった。ダブりを極力抑えることで許しが出たのでは。結果的には正解だった。(5)(8)(9)(11)と、初出が4曲ある。未収録の《ワーリー・バード》《スプランキー》には大いにそそられるが、《チュニジアの夜》《ヒッティン12》《リル・ダーリン》《ワン・オクロック・ジャンプ》などは先行盤で間にあいそうだし、専属歌手をフィーチャーした《愛のフィーリング》《ウォッチ・ホワット・ハプンズ》には気乗りしない。余談だが、なぜかベイシーは大味のブルース・シャウターばかり連れてきて不思議でならなかった。
個々の演奏には多言を要しない。メンバーは小粒になっていたしアル・グレイ(トロンボーン)とジミー・フォレスト(テナー)も既になく、これといったソロに乏しいのだ。聴き所は、ベイシー=フレディ=ジョン・クレイトン=ブッチの新オール・アメリカン・リズム・セクションが導くバンドの湧き立つようなグルーヴと怒涛のドライヴ感にある。《ヒーツ・オン》で早くもゾクっときてウルっときた。銚子公演を観た少年がその迫力にお漏らししたのも無理はない。15歳間近の菊地成孔氏だ。
ソロイストで傾聴に値するのは(8)のフレッド・ウェズレイ(トロンボーン)と(9)のクレイトンか、名を残す人は違う。ウィナーはブッチだ。リズム陣をクリアにとらえた優れた録音もあるが、いつにもましてホットでパワフル、まさしくブッチ切れている。生涯の名演ではないか。未収録に数えた《ヒッティン》《オクロック》は国内CDに収められたが入手難、米CDを推薦盤とした。[次回3月17日(月)更新予定]
【収録曲一覧】
Live in Japan,'78 / Count Basie & his Orchestra (Pablo Live)
1. The Heat's On 2. Freckle Face 3. Ja-Da 4. Things Ain't What They Used to Be 5. A Bit of This and a Bit of That 6. All of Me 7. Shiny Stockings 8. Left Hand Funk 9. John the III 10. Basie 11. Black Velvet 12. Jumpin' at the Woodside
Count Basie (p), Sonny Cohn, Pete Minger, Waymon Reed, Nolan Smith (tp), Mel Wonzo, Fred Wesley, Dennis Wilson (tb), Bill Hughes (btb), Bobby Plater, Danny Turner (as), Kenny Hing (ts), Eric Dixon (ts, fl), Charlie Fowlkes (bs), Freddie Green (g), John Clayton (b), Butch Miles (ds).
Recorded at Shimin Kaikan, Hamamatsu City, Shizuoka, May 21, 1978.
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