中学生のころからシャンソンが大好きだった。
フレンチ・ポップスという言葉もあったのだから、流行してもいたのだろう。
ダニエル・ビダルの《オー・シャンゼリゼ》やミッシェル・ポロナレフの《シェリーに口づけ》や《愛の休日》など、今でも口ずさめる。それから《オー・シャンゼリゼ》は、ジョー・ダッサンという歌手が彼女より前にヒットさせた曲だというのを知って、探して聴いたりしていた。今ならネットで簡単に見つかるだろうに。
ただしそのころのわたしには、この曲が実はイギリスのジェイソン・クレストというロック・バンドの《ウォータールー・ロード》という曲が元歌だというところまでは調べられなかった。
もう一つは、越路吹雪だ。
わたしはこどものころ、この歌手のことを紅白歌合戦でしか知らなかったが、それでもそこで歌われる日本語のシャンソンからは、とてもインパクトを受けた。そして彼女が歌う《サン・トワ・マミー》や《ろくでなし》の元歌が聴きたくて、サルヴァトール・アダモの2枚組ベスト盤を買ったり、《ラストダンスは私に》という曲がドリフターズというグループの曲と聞いて、加藤茶のいるグループとこんがらかったりした。同じ名前のアメリカのコーラス・グループというのに気づくまで、何日もやもやした日を過ごしたか。
しかしその中でも参考になったのが、FMでやっていた番組のシャンソン特集だった。
当時わたしは、モノラルのオープン・テープのテープ・レコーダーを持っていて、それでFMを録音して聴いていた。東芝製だったと思う。カセット・テープ・レコーダーは持っていなかった。まだ一般化していなかったと思う。
そのシャンソン特集でイヴ・モンタンの《枯葉》を知り、バルバラの《黒いワシ》や《ナントに雨が降る》などに夢中になった。1990年、バルバラが来日したときには、人見記念講堂に一人で観に行った。歌詞の邦訳がステージの脇に出たのを見たのは、この時が最初ではなかったか。幸福な気分で帰ったのを覚えている。
そんなシャンソン歌手のなかで、特別大物扱いだったのが、エディット・ピアフだ。
後年、ピアフの伝記映画やドキュメンタリーで、ピアフの人生や悲恋の物語を知ることになるが、そのころは力強い声だな、と思っていた。
越路吹雪の《愛の讃歌》の元歌だということも知った。でも、特別夢中になったという記憶もなかった。しかし数十年が流れ、今でもよく聴く歌手の一人にエディット・ピアフがいる。それがピアフの魅力の証だといって、理解してもらえるだろうか。
ピアフは貧しい地区に生まれ、両親が離婚した後、父方の売春宿を営む祖母に預けられる。映画では大道芸人だった父親が、観客から娘にもなんかやらせろといわれ、人前で歌ったのが最初のように描かれている。その後、才能が認めれる。紆余曲折がありながらも大歌手への成長していく。そこでの悲恋である。
ピアフは、世界チャンピオンのプロボクサーで妻帯者のマルセル・セルダンと恋に落ちる。不倫である。
その後、セルダンは肩の故障で試合に負けるが、チャンピオン戦をかけた再戦がおこなわれることとなる。その時、コンサートでニューヨークにいたピアフの「会いたい」という願いに応えようとして飛行機に乗り、事故にあい、亡くなってしまう。
今回の公演に向けての美輪明宏のインタビューを読むと、その後のボロボロになったピアフを支えたテオ・サラポについても、描きたいと語っている。
美輪明宏は、わたしが三島由紀夫にかぶれていた学生時代から興味を持ってみているし、『紫の履歴書』も愛読書の一冊だが、彼について書くのは次の機会としたい。
それからもうひとつ、ディズニーのアニメーション映画に『ウォーリー』という作品がある。
人類が滅亡した地球で、独り掃除をし続ける日本製のお掃除ロボット、ウォーリーが主人公だ。ある日、ロケットが飛んできて、きれいな未来型のロボット「イヴァ」がやってくる。その「イヴァ」を見たあとで、エディット・ピアフの曲《バラ色の人生》がルイ・アームストロングの演奏で流れる。廃墟と化した地球を掃除しながら走る恋するロボットを見ながら、わたしはエディット・ピアフを思い出していた。[次回1月29日(水)更新予定]
■公演情報は、こちら
http://www.o-miwa.co.jp/cgi-bin/play.cgi
■参考:インタビュー
美輪明宏版『愛の讃歌』 ~エディット・ピアフ物語~
3年ぶりの上演!美輪明宏版『愛の讃歌~エディット・ピアフ物語~』美輪明宏が語る作品の見どころ!