天野さんだったら何て言うだろう。
この2カ月、何度もそう思った。食材の偽表示、都知事の釈明会見、そして特定秘密保護法……。ニュースが続いた年末、「これ、次のCM天気図に書いてこられるんじゃないかな?」と思ってはすぐに、「あっ、天野さんはもうおられないんだ」と気付くのだ。昨年(13年)10月20日、天野さんは急逝された。天気図は16日が最後になった。読者から惜しむ手紙がたくさん届いた。
昨年4月、改題を経て1984年から続くコラム「CM天気図」の担当になった。物ごころついたときには新聞に掲載されていて、私自身、小学生のころから読んできたコラムだ。引き継ぎのあいさつはとても緊張した。だが、奥さんの伊佐子さんと一緒に現れた天野さんは、気さくで、こしあん・つぶあんの好みから、ディズニーランド、ディズニーシーに続く三つ目に、老人が退屈を楽しむ場所としてディズニーシルバーをつくってはどうかという話まで、話題は多岐に及んだ。和やかな話しぶりの中に鋭い文化論が忍ばされていて、はっとさせられた。
好奇心いっぱいに輝く目も印象的だった。「コラムの顔写真を、後ろ向きだったり大笑いしていたりする姿にたまに変えられないかな」ともおっしゃった。このときも目がいたずらっこのようにきらっと光っていた。つねに面白くしたいと考えておられるのだなと驚き、「いいですね!」と答えたのに、実行しないままになってしまった。
残念なことはまだまだある。
思い切って「毎週、原稿を頂きに上がりたい」とお願いした。天野さんはちょっと驚いた顔をして、「何時に書き上がるか、そのときによって違うから。会う時間はまた別につくるから、メールで送ります」。「私ごときが厚かましいお願いだったな」と反省した。亡くなられてから、「今度の奴は面白いよ。昔はみんな、原稿取りに来るのが当たり前だったんだから」とおっしゃっていたと聞いた。元気があると感じて下さっていたらしい。少しでもお目にかかって話を伺いたくて、ラジオの収録現場に連れていって頂いたり、お菓子を持って突然、訪ねたりした。でも、もっともっと学びたかった。「謦咳(けいがい)に接したい」という言葉がぴったりだった。最後まで忙しくされていたので、時間はこれからいくらでもあると甘えていた。
原稿はいつも、すっと呼吸するように読める。笑ってしまう。えっと驚く展開がある。深い洞察がある。例えば、「消費税還元セール」というフレーズを使ってはならぬという政府の方針を皮肉るのに、30年前の経済書の一節を引く。私には聞いたこともない本だ。ほかの部分も読みたくなって「もう絶版になってるよ」とおっしゃる本を、何冊探して買ったことか。かつて読んだ本や誰かに聞いた話がすべて天野さんに染みこんでいて、適切なところで出てくる。これが教養なんだなあと感じた。
この本には選りすぐりの155編が掲載されている。
ユーモアあふれる文体は初めからで、内容は全く古びていない。《家族や家庭の再生というのは、そんなカンタンなものではないだろう。早く帰ってくるだけではなくて、男たちの意識が根っこのところから変わっていかないかぎり、何も生まれてはこない。「父帰る」より「父変える」のほうが、ずっと大切なのだ》(1993年3月6日)。最新の世界男女格差報告で、日本は世界136カ国中105位。20年たっても日本はあまり変わっていないようだ。
経済的な“豊かさ”のあとの価値についても、繰り返し書かれている。《夢や希望が見つけにくい時代である。かと言って、政治家や企業がつくり出したお仕着せの夢や希望に踊らされていると、ロクなことがない》(86年12月26日)。豊かさの次というのは日本の最近のテーマだと思っていたら、80年代にすでに書かれてあるのだ。
3・11以降の筆の鋭さは圧巻だ。原稿や口調にじれったさがにじんでいると感じることもあった。そもそも、実は80年代から言い続けてきたテーマも多々ある。いくら言っても変わらない、もういいやと思うことはなかったのか。すると、「一度じゃだめだよ。何度でも書かなきゃ」という、天野さんが飄々と話す声がよみがえってきた。
155編を選んだ伊佐子さんが「天野祐吉に会いたいとき、のぞいてみて。きっとヒントをくれるよ」とおっしゃった。本当にそんな本になったと思う。
もう天野さんには会えない。でも天野さんの言葉がここにある。これから何かあるたびに私は「天野さんだったら何て言うだろう」と考え、困ったらページを開くだろう。この本を手に取られるどの方をも、天野さんが温かくも澄んだ知恵の光ですっと照らしてくれると思う。