どうして? 藤圭子の引退報道にふれて浮かんだ素直な問いをきっかけに、沢木耕太郎は藤本人に直接連絡をとり、1979年秋、ホテルニューオータニの夜景が見えるバーでインタビューを試みた。
 当時、藤は28歳。『圭子の夢は夜ひらく』などのヒット曲で一世を風靡したものの、その勢いははっきりと下降していた。一方の沢木は31歳。『テロルの決算』が高く評価され、次作の『一瞬の夏』を執筆中だった。
 ノンフィクションの「方法」にこだわっていたその頃の沢木は、インタビューの内容を会話体だけで表し、叙述や描写といった地の文をいっさい加えずに構成した。実際に読み進めていくと、ウォッカ・トニックを飲みながら会話をつづける二人の姿がちらちらと眼前に浮かんでくる。最初は「インタヴューなんて馬鹿ばかしいだけ」と言い放っていた藤が、火酒と沢木の巧みな問いかけに導かれて多弁になっていくあたりでは、まるで自分がバーカウンターの中に隠れて盗聴しているような気分になった。
 藤は杯が進むにしたがって、時に躊躇しつつも子ども時代の貧困、父親の暴力、デビューまでの経緯、前川清との結婚離婚、両親の離婚などの内実を赤裸々に語り、ついには引退の理由も明言した上で、その後の計画まで口にする。首尾よく取材を終えた沢木は予定どおり会話体だけの原稿にまとめるのだが、雑誌掲載を目前にして作品を封印してしまう。ひょっとして藤が復帰しようとしたとき、引退の決意や周囲への評価を声高に語る内容が足枷(かせ)になるかもしれないと懸念した結果の決断だった。
 こうして幻となった『流星ひとつ』は、藤の自殺が精神を病んだ末の死として語られることに胸を痛めた沢木自身によって解禁され、緊急出版となった。火酒のごとく「透明な烈(はげ)しさが清潔に匂」う28歳の藤の精神を、宇多田ヒカルが読んでくれればと沢木は願っている。

週刊朝日 2013年11月8日号