書店観察が好きなぼくにとって、晶文社の本はひとつの指標だった。晶文社の本がどう置かれているかで、書店の性格がわかる。しかしこのところ晶文社の元気がなかった。冬眠とまではいわないが、昼寝している感じ。それが最近、目を覚ました。「犀の教室」なんていう、晶文社らしいシリーズも始まった。
第一弾、鷲田清一『パラレルな知性』とともに刊行されたのが内田樹『街場の憂国論』だ。他の多くのウチダ本と同じく、著者がブログはじめあちこちに書いた文章を編集者が集めて一冊にした。内田センセ、国を憂えておられるのである。
内田樹はなぜ人気があるのか。その理由は、まえがきに書いてある。いや、「だからオレは人気がある」とは書いてないけど。
内田はあるときから「他の人があまり言わないこと」だけを書くようになったという。その理由のひとつは仕事を減らすため。原稿を読んだデスク(編集部の現場監督)が拒絶するような原稿を書けば仕事が減るだろうと考えた。ところが意に反して原稿は好意的に受け止められ、センセますます商売繁盛。
どうしてそんなことが?
「他の人があまり言わないこと」を書くと、意外にもリーダー・フレンドリーになるのでは、と内田は推測している。聞いたこともないような意見を伝えるためには、ちゃんとわかりやすく説明しなければならない。しかも最後まで聞いてもらうためには、そのための工夫も必要だ。
対極にあるのがネットの匿名発言だ。誰でも言いそうなことを(下品な言葉遣いで)書き飛ばしているのだけど、凡庸なので発言者は誰とでも交換可能だ。
本書の中に、情報の格差について述べている部分がある。情報リテラシーとは、情報についての情報を把握できること。持っている情報と持っていない情報について判断できること。ないものについて思いを巡らせることだ。
※週刊朝日 2013年11月1日号