ダマスカス 市街地のパン屋にて 【シリアの旅のフォトギャラリーはこちら】
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シリア北西部 町の市場 【シリアの旅のフォトギャラリーはこちら】
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 今年の6月からdot.フォトギャラリーで3回連載した「旅する主婦 東苑泰子のコンデジ世界紀行」は、好評につき、今月からコラム「地球の旅人 東苑泰子の東遊西撮記」として装いも新たに再スタートすることになりました。写真は引き続きフォトギャラリーに掲載します。地球は広い!これからも私と一緒に世界を見に行きましょう!

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 シリアは2008年の冬に訪れた。目的は、世界遺産のパルミラやダマスカスをはじめ国内の数ある遺跡を観光しながら町歩きをすることだった。中近東は危険だというイメージはあった。しかし現地を旅してきた人たちに聞くと、実際はまったく異なり、人々は親切で外国人は丁寧に扱われるという。そこで、思い切ってトルコ・ヨルダン・レバノン・エジプトなどの周辺国とあわせて巡る数か月間の旅に出た。

 想像に違わず、パルミラの神殿は荘厳だった。ダマスカスのウマイヤ・モスクの心地よさと壮麗さにはうっとりした。旧市街のアーケードを名物店のアイスクリームをほおばりながらそぞろ歩くと、黒いチャドルとよばれる布で頭からつま先まで覆われたアラブの女性たちが行き交って、エキゾチックさに夢を見ているようだった。

 それ以上に印象的だったのは、うわさに違わぬ親切で人懐っこい地元の人々だ。女性一人の外国人観光客をエスコートしようと、男性たちがひっきりなしに近寄ってきた。道を尋ねれば目的地の近くまで案内してくれて、時にはバス停まで連れて行ってくれた上に運転手に私の目的地を告げ、この娘をよろしくとばかりにバス代まで払ってくれた。気に入られると、ちょっと寄っていけと家に招かれ、晩御飯をご馳走になり、居間に寝床を用意された。そして、翌日その家をお暇する時には、押すと「アイ・ラブ・ユー!」と鳴くハート型のぬいぐるみをお土産にもらうこともあった。店頭、レストラン、博物館、バスの中、道端……。行く先々で人々がニコニコと近寄って来ては、「どこから来た?」「何しに来た?」「職業は?」「結婚しているか?」「子供はいるか?」……と質問責め。最初は理由がわからず困惑したが、やり取りしているうちに、好奇心からだけでなく、外国人をもてなすことや困っている人を助けることが自分たちの名誉だという気持ちが伝わってきた。それにしても、人から話しかけられずに過ごす日はなく、旅の終わりには、たまには一人にしてくれと叫びたくなるほどだった。
 
 忘れられない出来事がある。観光地ではない、田舎の小さな遺跡を訪れた時のことだ。そこからの帰り道、ある住宅の窓が目についた。窓枠の形が面白かったので、何気なくカメラに収めた。誰からも注意されないので問題はないだろうと思い、すれ違う村の人たちと笑顔で挨拶を交わしながら歩いていると、向こうから一人の男が血相を変えて私に突進してきた。次の瞬間、私は腕を掴まれカメラをもぎ取られ、腕を引っ張られて近所の家の庭に連れて行かれた。庭では、その家の人たちが車座になって私をじっと見つめている。男は、空いている椅子のひとつに私を座らせると、「秘密警察だ」と言って身分証明書をちらつかせ、私のパスポートを取り上げた。そして「どこから来た?!」「何をしていた?!」「何を撮影していた?!」と荒々しい調子で尋問を始めた。何が起こったのだろう?! さっぱりわからない私は、男の剣幕にどぎまぎしながらも恐る恐る聞いてみた。すると、私が撮った住宅の壁に政治的メッセージが書かれているらしいとわかった。写しているところを村の人が見て、怪しい外人ジャーナリストが活動していると勘違いし通報したのだ。

 カメラのモニターで確認すると、確かにアラビア語の落書きがあった。私は、アラビア語が読めず意味はさっぱりわからない、撮りたかったのは家の窓だと一生懸命説明したが、「馬鹿を言うな!」と一喝された。それでは、その画像はどうしても必要なものではないと目の前で消去してみせたが、男の怒りは収まらず、何だかんだと難癖をつける。しかし、いくら質問されても正真正銘の日本人観光客の私には捕まる理由がない。男の方もだんだん質問に窮してきて、あげくに、ハンドバックの中に銃が入っているだろう、開けて見せろと言い出した。そこでバッグを開けて、最初に手に触れたスカーフを取り出してみせた。数日前に現地の女性がプレゼントしてくれたもので、髪の毛をまとめるために被る敬虔なムスリム女性の基本アイテムだ。それを見ると、男の鬼のような形相が一瞬にしてほころび、「おお~!」という喜びの声とともに笑顔に変わった。そして私にパスポートとカメラを返し、「お前、お腹が空いていないか?」と優しい声で聞くや、回りで固唾を飲んで見守っていた女性たちを促して、家の中から大きな銀の盆に盛り付けた食べきれないほどの食事を私の前に持ってこさせた。そして、「じゃあ、気を付けて!」とニコニコと手を振りながら乗って来たバイクに戻ると、そのあたりで遊んでいた子供たちを前後に4人も乗せて、近所の気のいいお父さんの顔でさっそうと去っていった。あっけにとられた。しかし、一気に緊張が解けて急にお腹が空いた私は、出された食事を、うまい、うまいと平らげて、女性たちにお礼を言ってそこを立ち去った。

 ホテルに戻って思い返した。なぜ、いつものように撮っている時に注意してくれなかったのだろうか。落書きに気づかなかったのはこちらの不注意だったかもしれないが、頭から相手を疑ってかかるその男の思い込みと尋問の激しさ、その上銃を出せという疑い深さは恐ろしかった。それでいて、自らムスリムとしての無礼に気づいた後は礼儀正しかった。この国の人たちは笑顔の下にあのような激高性をも秘めているのか。

 最近、メディアでさかんに取り上げられているシリアに関する記事を読むと、近代化以降、この国では、ジャーナリストや活動家、時には無実の市民まで突然逮捕・拘束されてきたとある。すべて内輪の問題で外国人には関係ないよと、現地の人が自嘲気味に話していたことを思い出しながら、あの時のシリアの旅で出会った人々の写真を見ていると、この笑顔は、私たちには想像もつかない警戒心とともにあったのかと複雑な気持ちになる。私が経験した一件のように、思い込みを叩きつけ合っていては会話も理解も進まない。もしかするとこの笑顔や心は、そのような絡み合う不自由な環境を生き抜く知恵として育まれてきたのかもしれない。今日、この人たちはどこでどうしているのだろうか。銃撃戦を逃れて安全な場所に避難できただろうか。虐殺・誘拐されていないだろうか。来るかもしれない空爆に不安を募らせてはいないだろうか。よもや、戦闘に参加してはいないだろうな。そう思うと胸が締め付けられて、一日も早く彼らが安心して暮らせる日々が来るよう、祈らずにはおられない。

<プロフィール>
ひがしぞの・やすこ/東京都出身。ニューヨーク近代美術館でインターン中、世界の広さに目覚め、キャリアを変えて世界を見る旅をするために?結婚! 海外勤務もあるサラリーマンの夫に励まされ、これまで訪れた国は100ヵ国以上。「旅主婦」と呼ばれることも。翻訳家の父に鍛えられた語学センスと生来の健脚・健啖を活かして諸国を歩き、出会った人々、その街・その国らしい風景を抜群の反射神経でパチリ、愛機コンデジに収める。