身の上相談にはふたつのタイプがある。ひとつは日本でいちばん老舗の身の上相談欄、読売新聞の「人生案内」。1914年から1世紀近く続いているこのコラムは、相談内容や回答者の人選、回答のしかたそのものが、世相の変遷を知るための研究資料となる。もうひとつは、かつて朝日新聞が1984年から95年まで11年間にわたって連載した故中島らもさんの「明るい悩み相談室」。関西のお笑い構成作家、中島らもというぶっとんだ奇人変人を回答者に起用して、かれのパフォーマンスを芸にして楽しもうという趣旨のものだった。オチのない話はオチつかない、という大阪カルチャーにぴったりのこの話芸は、朝日新聞大阪版から始まって、やがて全国版に登場するようになった。わたしが回答者のひとりを務めている朝日新聞土曜版の「悩みのるつぼ」は、その中間、というところだろうか。
よく言われることだが、投稿の相談があまりにおもしろいので、やらせじゃないか、と聞かれるたびに、実物をとりだして見せた、と中島さなえさんのあとがきにある。らもさんの娘のさなえさんも、おもしろすぎる親の薫陶を受けてか、作家になった。
よくしたもので、相談者と回答者とのあいだには、お互いに学びあって高め合うような、はたまた果たし合いをするような、相互循環の回路ができあがる。例をあげたほうが早い。
「腹を割って話をしよう」とか「あいつとは手を切れ」とかのセリフで、おなかが裂けた人間や、腕を切られた人間などの残酷なシーンを、すぐに思い浮かべる15歳。「どうしたらこの癖がなおるでしょうか」という問いに、らもさんはこう答える。
『あまりの難問に、思わずこの欄から「足を洗いたく」なった自分のふがいなさに「ほぞをかみ」つつ、こんな手紙をくれたあなたの意地悪さに「はらわたが煮えくりかえる」思いですが、ここで逃げては「男が立たない」ので「ヘソが茶をわかす」回答をしようと「腕を鳴ら」しているところです』
それにしても出るわでるわ、難問奇問。それに輪をかけた怪答珍答。わたしは3回に1回は爆笑!した。同じく身の上相談の回答者として、参考になるか、ですって? まったく、ならない。この回答はらもさんならではの、空前絶後の作品だからだ。これがらもさんからわたしたちへの「置き土産」なのはうれしい。
ご注意。本書は電車の中で読まないように。ひとり笑いを続けるあなたは、周囲から怪しいひととおもわれるだろうから。