翌8月14日、アプガは群馬に飛んだ。新井愛瞳の凱旋公演である。ライヴの前、昼過ぎからタワーレコード高崎店でトーク・イベントと握手会があった。ぼくはレコード店に入ると、「店内エゴサ」をするようにしている。自分が文章を書いたものが媒体に掲載されて市販されて、原稿料が振り込まれて、はいそれでオシマイ、というのはイヤなのだ。
もともとぼくは出版業界あがりだから取次店や書店に行って交渉したり頭を下げたり返品を取りにいったりを飽きるほどしてきた。「どうやって紙ができるのか」まで自力で学習した。自分の携わったものがどう流通し、どう配置されているかまで把握したくてたまらないのだ。結果、自分が解説を書いたCDや監修を務めたシリーズも充実した品揃えであることを確認できた。本当にありがたい。感謝するしかない。そのお店で今、アプガがイベントをやっている。ぼくの心の中では、これは一種の共演なのだ、と書くことを許していただきたい。
書記していないので記憶に頼るが、「アプガが群馬に来るのは昨年に続いて2回目」「だけどそのときはヤマダ電機でイベントをやって、タワーには挨拶に立ち寄った。だからタワーレコードでイベントできて嬉しい」「昨年は佐保明梨がスケジュール上の都合で参加できなかった」「だから古川小夏に“高崎でイベントやったよね、懐かしいねー”と同意を求められるたびに、佐保は戸惑うしかなかった」「最初の頃は、(仮)という文字の入った衣装を着て外に出るのが恥ずかしくて本当にいやだったけれど、いつの間にか慣れた」「私はいまだに慣れてない。背中の(仮)はリュックで隠す」といった名フレーズが(ぼくの記憶では)飛び出し、そのつどファンは盛りあがった。
そして夜は、「高崎club FLEEZ」でライヴだ。実はこの店、ぼくの知り合いの知り合い(水沢うどん「大澤屋」の商品企画を担当)の知り合いが関わっている。だからどちらにしても近い将来、足を運ぶことになるかもとは思っていたのだが、アプガで行くことができて本当に感激だ。ドアに続く階段にはイメージカラーである青Tシャツを着た面々がずらりと並ぶ。もちろん通常通り他のメンバーを推しているファンも多い。が、みんなこの日は、心のどこかに新井愛瞳という存在をメモしてライヴを楽しんでいたのではないだろうか。それほど彼女は傑出していた。かつてぼくは「アプガのダークホース」、「アプガのキリン児」と書いた。とてつもなく豊かな可能性、明るい未来を感じるからこそ、そうしたためたのだが、「それ以前に、いま現在の新井愛瞳の輝きを書け!」と、この日のステージに接して、ぼくは自分で自分を叱りつけた。
MCパートでは当然ながら新井愛瞳が大きくフィーチャーされた。ファン有志が制作した「手配書」(新井の愛読するマンガのひとつである「ワンピース」のキャラクター風に、彼女の似顔絵が描かれている)が手渡されたり、「かぼちゃ大福 妙ちくりん」や群馬名物であるこんにゃくの話題になったり、家族が見に来ている等の話が出たはずだが、この時点で自分の脳みそは感動のあまり許容範囲を超えていて細かいことは覚えていない。
途中、新井が目に涙を浮かべ、それを見た佐保がもらい泣きするシーンもあった。客席でも青Tシャツを着た女性ファンが泣いていた。アイドルに縁の薄い読者の中には、「女性アイドルのライヴには、むさくるしい男ばかりが集まる」というイメージをお持ちの方もいるだろう。が、これは必ずしも正しくない。力道山や小林旭に世の男どもが憧れるように、女性アイドルに憧れる女性ファンだって少なくないのだ。ぼくの見た限り、新井愛瞳は同性のファン率も高いように思われる。
終演後、ぼくは高崎駅前の「朝鮮飯店」に行った。トングで肉をつまみながら、次の一文をツイッターに載せた。
新井さん率いるアプガ。そう言いたくなる群馬公演だった。言語中枢がマヒするほど言葉を忘れて感動にふるえた。ローソンとか、いろんな店や建物にある青が、みんな凱旋を祝しているように見える。新井さんは涙ぐんだが涙をこぼさなかった。今はまだ涙をこぼすには早いということを知っているのだろう。
群馬県にはこの日を“新井愛瞳の日”として認定することを考えてもらいたい、とも思った。
8月15日、アプガは熊谷にいた。なるほど、うわさ通りの暑さだ。ぼくはハバナやバルセロナやミシシッピの狂熱を体験したことがあるので、「まさか日本でそこまでクソ暑いことはないだろう」と若干タカをくくっていたのだが、間違いだった。
イベントの数日前、八木橋百貨店はこんな告知を出した。「アップアップガールズ(仮)店頭ライブを行ないます。場所:八木橋百貨店西口(仮)日時:8/15(木)13時~(仮)」。場所と時間の(仮)に限りない不安を掻き立てられながら、ぼくは会場に向かった。到着とほぼ同時に、偉大なロック・ギタリスト、山口冨士夫の訃報を知る。生涯、一度として「ぬるい音」を出さなかったホンモノ中のホンモノだった。
短いリハーサルを終えたアプガが再び登場したのは午後1時過ぎだったと思う。この時点で、百貨店の真横にある温度計は38度を指していた。しかしこの温度計、テントの下にある椅子の上に立てかけられているので(つまり日陰)、陽射しをモロに浴びた我々ファンの体感温度は40度台に達していたはずだ。そんな灼熱の中、アプガは「イチバンガールズ!」、「アップアップタイフーン」、「メチャキュン サマー ( ´ ▽ ` )ノ」、「サマービーム!」を歌い踊った。ノーマルな歌手ならワン・コーラスでぶっ倒れていてもおかしくない。しかしアプガは、やりきった。超人だ。
そして夜、舞台を「Heaven's Rock Kumagaya VJ-1」に移し、ライヴが始まる。暑い街ということで「暑苦しいほど全力投球」「暑苦しいくらいが丁度いい」をキャッチフレーズとする古川小夏にスポットが当たった。彼女はアプガの太陽だと思う。そして本当にいいことを言う。
「私は毎日を楽しく、気分良く過ごそうと心がけているだけ。別にわざわざ暑苦しいキャラクターを作っているわけではありません!」。
ぼくは恐らく50回はアプガのライヴに足を運んでいるが、なかでも古川小夏の変わらぬ明るさ、元気さ、頭の回転の速さ、颯爽としたダンスのキレには感服させられてばかりだ。ブラス・バンドでいうと、アンサンブル全体を引っ張っていくリード・トランペットといったところか。MCのときでもメンバーの発言ひとつひとつをしっかり聞き、受け止め、鋭いツッコミを入れて会場を沸かせる。この日のライヴはミキシングのせいか、古川小夏のビッグ・ヴォイスが一層くっきりと聴こえた。日本屈指の暑い街には、古川のソウルフルな歌声がよく似合う。
またこの日は、フランスからはるばるやってきたアイドルヲタの日本滞在最終日でもあった。一部の間で「ムッシュ仮T」と呼ばれていた彼のことだ。ちょっと立ち話をしたので、以下、要約する。
「ハロプロで日本のアイドルに興味を持った。ユーチューブ等で楽しんできたが、どうしてもライヴが見たくて、毎年1ヶ月間、日本に滞在してアイドルを見まくっている。一番好きなのはアプガ。別にアプガのコンサートだから、そう言っているわけじゃないよ(笑)。今年もいろいろアイドルを見たが、ベストはアプガだ。アプガ以上のものには出会えなかったね。好きなメンバーは古川小夏。彼女はエクセレントだ!」
ムッシュ仮Tは心を残して日本を去った。いまごろ彼はジャパニーズ・アイドル・ポップスのアンバサダーとして、フランス人仲間に日本のアイドルの魅力、そしてアプガの良さを伝えていることだろう。再会が楽しみだ。
16日の昼は宇都宮の東武デパート内TSUTAYAで握手会があった。ぼくは再び「エゴサ」に励んだ。ジャズ、ソウル・ミュージック、ロック、演歌・歌謡曲の各コーナーに自分の関わった作品があった。ここでアプガがイベントをやるとは、ぼくの心の中では、これは一種の共演(以下、8月14日の繰り返し)。
夜は、東武近くにある「Heaven's Rock Utsunomiya VJ-2」でライヴだ。これまでの3公演よりも、さらに近い距離に7人がいる。楽屋には酸素ボンベが用意されたという。客席にいるぼくも空気の薄さを感じてクラクラしたくらいだから、色とりどりの照明の下で歌い踊るアプガのメンバーたちは大変だっただろうな、と思うが、なにしろ「ライヴで心を伝える」、「百戦錬磨」、「雑草魂」のグループであるから、パフォーマンスについては完璧そして最高という以外に言葉が見つからない。そして皆、表情が素晴らしい。音楽に魂をこめて表現しているひとの表情というのは、こんなに多彩で、陰影に富むものなのか。
なかでも「アプガの煽り隊長」こと佐藤綾乃の表現力を、ぼくは特筆したくてしょうがない。ステージ前方に出てファンをガンガン挑発する姿も真実の佐藤綾乃だが、「Beautiful Days!」の中に登場する主人公の悲しい気持ちを憂いに満ちた表情で表現する佐藤綾乃も真実の佐藤綾乃だ。汗に輝いた姿がスポットライトを浴びて、まるで神聖なブロンズ像のように見える。ところで佐藤綾乃は映画『讐(ADA)』二部作でも難しい役どころを演じ、女優としての才を示しているが、その起用は映画プロデューサーが彼女の多彩な表情を高く評価した結果なのだろう、とぼくはひとり勝手に思っている。「リスペクトーキョー」の歌詞、“原宿なぅ”のところは、“ぎょうざなぅ”と変えて歌われた。
ここでツアーは折り返し地点に入る。しかしアプガは休まない。
17日には両国国技館でDDTプロレスの「DDT万博~プロレスの進歩と調和~」に参加した。ぼくは2F奥で見ていたが、両国でもアプガはアプガだった。空手の茶帯を持つ佐保明梨が、大社長こと高木三四郎に突きを入れた場面をぼくは一生、忘れないだろう。
20日、“開戦前夜”が再開された。7時からの「豊橋KNOT」公演前に、1時から「タワーレコード名古屋パルコ店 パルコ西館1Fイベントスペース」でミニライヴ&握手会だ。とくに大きなポスターや張り紙はなかったと記憶しているが、パフォーマンスが進むにつれて観衆が集まってくる。「なんかやってるよ、アイドル?」「かわいいね」といった声を、ぼくは後頭部で耳にした。「バレバレ I LOVE YOU」が歌われたのは、“開戦前夜”ではこのときが最後。
名古屋やら豊橋までの距離は思ったよりも長かった。しかしアプガは疲れを見せない。ぼくはいい年こいて、このプロフェッショナル・スピリットを自分の半分近い年齢の女性たちから教わっているのだ。
セットリストには「なめんな! アシガールズ」、「SAKURA DRIVE」が加わった。アーティストとの距離の近さは宇都宮と同じぐらいか。MCではカレーうどんの話が印象に残った(カレーうどんの下に、とろろご飯が入っているのだそうだ)。アプガと観客のコール&レスポンスで場内は蒸し風呂、サウナ状態であるが、それが少しも苦にならないのだから本当に人間の体質というものは不思議である。
「あの坂の上まで、」に入る前のMCの頃からマイクの音声が途切れがちになり、結局「あの坂」の最初の方をマイクなしで歌ったのだが(伴奏の音を思いっきり下げて)、これも心に沁みた。佐保明梨の歌声には力強さと優しさが絶妙なバランスで共存している。その歌声を、文字通りのナマで味わうことができたこの日の観客は幸せだ。物音ひとつ立てず、じっとメンバーの生歌に聴きいるファンのふるまいもまた、「豊橋KNOT」公演を成功に導いた大切な要因のひとつであったことはいうまでもない。
21日、アプガは東京に戻り、渋谷O-EASTで行なわれたイベント「DREAM ON!」にUFZSとして出演した。UFZSとは何か? 端的に言えばK-POPのカヴァー・ダンス・ユニットである。アプガとの関係は武藤敬司とグレート・ムタのようなものだと思っていただければいいか。だがここで改めて記しておきたいのは「UFZSは単なるアプガの別ユニットではない。まずUFZSが先に存在し、そしてアプガが生まれた」ということだ。
詳細を乱雑に書くと、アプガの面々は
1)ハロプロエッグをクビになった
2)K-POPのダンス・カヴァー・グループ、UFZSを結成した
3)その少し後に音楽グループ、アップフロントガールズ(仮)を結成した
4)だがアップフロントガールズ(仮)はアクシデントにより(細かな過程は省略)、アップアップガールズ(仮)に改名
という手順を踏んでいる。更に言うと今はUFZSもアプガも同一メンバーだが、最初からそうだったわけではない。
渋谷でのUFZSのパフォーマンスは圧倒的だったと耳にする。しかしぼくはこれを体験することができなかった。名古屋→豊橋→東京→大阪→神戸を移動するのは、予算的にきつすぎる。よって名古屋に留まり、そこから大阪に向かった。
22日、大阪では「TSUTAYA EBISUBASHI presents T-Palette Records Special Live in OSAKA」が行なわれた。タワーレコードのアイドル専門レーベル、T-Palette Recordsに所属するアイドルたちが集まった催しだ。場所は松竹座のそば。更にその近くにある「アーゴ」というレストランでは、かつてジョン・コルトレーンが野菜スープを飲んだことがある。そうした歴史的建造物が今も健在なのは実に嬉しい。アプガは午後1時から登場。
倉庫のようなガランとしたところでのパフォーマンスだったが、そのシンプルな感じが妙な生々しさを生む。「マーブルヒーロー」のエンディング、“シャキーン”という音が、壁や天井に跳ね返ったとき、「これこそ本当のガラージュ・セッションだ」と、深くうなずいてしまった。
しかし夜のライヴは大阪ではなく神戸、あの「WYNTERLAND」でおこなわれた。ステージが客席よりかなり高い位置にあるので、また違った視点からフォーメーションを味わうことができる。それが嬉しい。メンバーはさらに自由奔放、フェイク(メロディや歌い方をCDとは変えること)を盛んにしたり、シャウトしたり。MCもとことんリラックスしていて、笑いがたえない。観客とのコミュニケーション、というとなんだか難しくなるけれど、ようするに“共犯関係”のような空気すら生まれてきている。アプガも躁ならファンも躁、とことん歌って踊れ、という感じなのである。MCでは「じゃがりこ」の話がとても盛りあがったと記憶する。女子7人でお菓子の話に花が咲くあたり、「そうだ、アプガはアイドルだったんだ」と思わされる瞬間だ。汗だくで歯を食いしばりファイトを漲らせながらの、あの超人的なパフォーマンスが頭の中にガッと刷り込まれてしまうと、ともすればアプガがアイドルである、ということを忘れがちになってしまう。しかしアプガはアイドルなのだ。それも第一級の。彼女たちの姿に接して、ぼくは何度「かわいいなあ」と心の中でつぶやいたことか。しかも単独ライヴでは、攻め攻めの曲ばかりではなく、メロウな、可憐なナンバーも聴くことができる。数え切れないほど豊かな魅力を持つアプガの、いろんな愛らしさをまとめて楽しめるのが単独ライヴ最高の魅力であり、だからこそアプガは中毒者を生み続けているのだろう。それにしてもアイドルとは、なんと素晴らしく、夢のある職業なのか。
「開戦前夜」最終日の昼、アプガはタワーレコード京都店でトーク・イベントと握手会をおこなった。イベント前、メンバーは金閣寺を見てきたそうだ。そこで「佐保明梨 VS 金閣寺」なるものも行なわれたらしいので、いずれ放送されるか配信されることを楽しみにしたい。ぼくはここでも「エゴサ」をしたが、自分の監修したベツレヘム再発CDシリーズが面出しされていて、パンフレットも目立つところに置いてくれていたのは実に光栄に感じた。解説を書いたスティーヴ・グロスマンのCDもポップつきで派手に飾ってあった。そういやグロスマンも「暑苦しいぐらいが丁度いい」演奏をするミュージシャンである。一瞬でも興味を持ったら1曲でもいいので聴いてみてください。
夜は「KYOTO MUSE」で“開戦前夜”の最終公演だ。ここはステージも高いが天井も高い。森ティは昼のイベントでこんなふうに言っていた。
「今回のライヴ・ツアーでは、手を思いっきり伸ばして、照明に触れてしまったこともある。だけどKYOTO MUSEでは、そんなこともなさそう」。
本公演でも森ティのMCは冴えていた。なんでもメンバーはライヴ前に、“開戦前夜”7箇所の完遂を祝ってケーキに一人一本ずつ、これまでの公演の思い出を語りながらローソクを立てたそうだ。ズボッと立てるメンバーもやさしく立てるメンバーもいた中で、森ティはニコニコしながら「モリモリ立てました!」と宣言。そのあとに訪れた客席の静寂も、この日のポイントのひとつだった。事前に考えてきたネタがすべって、照れる森ティの姿には、「恥じらい」という、今では辞書の中にしかない言葉がぴったりくる世界があった。森ティはいつもアルカイック・スマイルというのだろうか、おだやかでやさしい笑顔を絶やさず、アプガの中にゆるぎなく存在している。彼女の珍しく困惑した表情を見ることができたのも、最終公演ならではだろう。
もちろん全員の歌やダンスは壮絶にして凄絶だった。千秋楽というのはこんなに、ひとを超絶させるものなのか。メンバーはもちろん、ファンも頭のネジが吹っ飛んでいた。そう断言してもいいだろう。佐保明梨は「金閣寺がふるえるようなライヴにしたい」と言った。「リスペクトーキョー」では“八橋なぅ”というフレーズも出た。要所要所を締めるリーダー(仮)、仙石みなみの、あまりにも穏やかなカリスマ性。歌っているときのキリッとした、勇ましさあふれる表情と、そうではないときの柔らかな姿のコントラストが美しい。
アンコール曲が終わっても、拍手は鳴りやまない。かわりに起こったのは「アプガ」というコールだ。ぼくはこのコール、この現場で初めて体験した。しばらくしてメンバーが再び登場し、「アップアップガールズ(仮)1stライブハウスツアー アプガ第二章(仮)開戦」への決意が力強く語られた。そして最後は仙石みなみの「アップアップガールズ」という生声に続いてメンバー+ファン全員が「かっこかり!」と生声でシャウト。伝説の一夜、いや、伝説のツアーはこうして幕を閉じたのである。
しかし、アプガの挑戦は終わらない。誰に頼まれたわけでもないが、ぼくは今後のライヴ予定を書かずにはいられない。アプガのためなら自分の魂が焦げて焦げて真っ白な灰になっても構わない。そんな熱い魂を持った奴らが、全身全霊をこめて歌い踊るサムライ・ガールズに会いに行く場所。それがアプガのライヴなのだ。と書くと怖いみたいだが、ぜんぜんそんなことはない。あんなにピースフルなアイドル現場を、ぼくはほかに知らない。
初めての方にこそ、どんどん見てほしいし聴いてほしい。あまりの楽しさに、生きる喜びを強く感じることだろう。「こんなにいいグループがあるんだということを、とにかく認識してもらえたら」と、ぼくはファンのはしくれとして、心の底から思うのだ。
【アプガ第二章(仮)開戦】
8/31(土) 横浜リベンジ決戦
開場16:30 開演17:30
会場:横浜BLITZ
9/7(土) 大阪決戦
開場17:00 開演18:00
会場:梅田AKASO
9/8(日)名古屋決戦
開場16:30 開演17:30
会場:クラブクアトロ
9/16(月・祝)赤坂決戦
開場13:15 開演14:00
開場17:15 開演18:00
会場:赤坂BLITZ
“開戦前夜”で催された全ライヴやイベントに足を運んだ結果、ぼくはようやく自分がアプガのファンであることが自覚できるようになってきた。今では1日40時間ぐらいアプガの曲が体の中をかけめぐっている。五臓六腑にアプガが染み渡っているという実感もある。
少し狂ってきた…のかもしれない。