余生を送るにはまだ早いであろう54歳の雛子は、高齢者向けマンションに暮らす。一人暮らしの雛子だが、長い間疎遠で、目の前に存在しないはずの妹・飴子と幻のおしゃべりを楽しんで過ごすことが多い。古い思い出話や、マンションに住む人々のうわさ話など、二人の対話は尽きることがない。
 章が切り替わるごとに、若夫婦や大学生カップル、同じマンションに住む老夫婦たち、カナダの日本人学校に通う少女と先生といった異なる人々が現れ、各々の生活が描かれる。断片的な描写が、緩やかに全体像を見せたかと思えば、逆に謎が深まることもある。
 表面的には穏やかでも、人は多かれ少なかれ、過去の記憶や秘密、様々な思いを抱えて生きる。雛子もまた同じだ。日常にさざ波が立ち、誰かの波のあおりを受けることもある。音、匂い、味といった五感を絡めて丹念に描かれた文章を追うことは、他者の内面を覗き見しているかのようでもある。その中に、人とのつながりの妙や、人生の先を見通すことの困難さなども見えてくる。静かで趣深い物語。

週刊朝日 2013年5月3・10日合併号