3月16日早朝。
私は出発するための荷物を詰めこんで込んでいるところである。荷物には数日分の着替えや食料と、娘と息子の1ヶ月分の勉強道具、それから私の仕事道具が入っている。
行き先は、甲府。私の母がひとりで住んでいる一戸建てに避難させてもらうつもりだ。そう、避難である。
スーパーにもコンビニにもほとんど食料がない。小学校の給食室までもが食材調達に失敗し、給食は明日からもうない。なのに私には娘のお弁当箱に入れてあげるお肉すらない。仕事もあるし、開店時間に合わせて並ぶなんてことはできなかった。きっと多くの働くお母さんもそうだろう。
それでも2日くらいはお弁当を持たせられるだろうけれど、今後もそれが続いたら、ちょっと厳しい。
うちの子どもたちは『チェルノブイリの少年たち』というマンガで原発の怖さをよく知っていた。だから、原発が爆発したというニュースを観てから、あまり元気がないし、大丈夫だよと説明しても、外出を怖がる。ちょうど春休みに入るころだし、原発からもっと離れたおばあちゃんちに行こう。そう声をかけたらふたりとも、ふたつ返事でうなずいた。
地震に停電に原発事故。もうわけがわからないようなことの連続の中で、娘の避難袋を作った。
「宝物も持って行きなさい」
もしかしたら長いこと帰れないかもしれないのでそう指示すると娘は、
「宝物なんて、ない」
と答えた。そしてしばらくしてから、
「やっぱりこれ」
と色鉛筆を入れた。それは私におねだりして買ってもらった、24色で5000円もするような高級色鉛筆である。
震災後娘は絵を描いた。
大勢の人が手をつないで笑っている絵だ。その絵をツイッターに流すと「気持ちが温かくなった」などと、フォロワーさんに喜んでもらえた。
9歳にして娘は、自分の絵が誰かを励ませることを知った。彼女にとってこの才能こそが、宝物なのだろう。何もいらない、ただ好きなだけ絵を描いていたい。甲府は東京の緊張が嘘のようにおだやかだった。一刻も早く事態が落ち着き、元の日本に戻る日が来ることを祈りつつこちらで節電生活送ります。