浜田商のエースで4番だった広島・佐々岡真司監督は、85年夏に島根大会準決勝まで勝ち進んだが、4日間で3試合を投げた疲労から速球の伸びを欠き、大社に3対7で敗れた。
鷹巣農林の4番捕手だったオリックス・中嶋聡監督は、86年夏の秋田大会準々決勝、横手戦で5点を勝ち越された9回裏に追撃のタイムリー二塁打を放つも届かず、5対8で敗退。1回2死三塁の先制機で敬遠されたのが「悔しかった」という。
一方、楽天・石井一久監督は、東京学館浦安2年の90年夏に千葉大会でベスト16入り。翌91年夏も4試合で52奪三振と“千葉のミスターK”の本領を発揮したが、5回戦の銚子商戦では四球をきっかけに悪送球で失点し、0対1の惜敗。甲子園を狙っていた監督を「神様のいたずら」と残念がらせた。
また、佐賀東の主将で1番打者だった西武・辻発彦監督は、76年の県予選3回戦で、第1シードの佐賀商を相手に、自らのタイムリー三塁打で4対1とリードを広げた直後、不運にも降雨ノーゲームとなり、再試合で敗れた。
桜宮時代に4番捕手・主将の三役をこなした阪神・矢野耀大監督も、最後の夏(86年)は大阪大会3回戦で市岡に3対10と8回コールド負けし、「憧れのPL学園と対戦する」夢をはたすことができなかった。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。