8強入りした春は2番ファーストで先発出場し、3試合で7打数無安打ながら、2四死球と2つの犠打を記録した。

 夏は3回戦の浦和学院戦で9回に代打で出場し、投ゴロ。春夏通じて1度も甲子園のマウンドに立つことなく終わったが、夏の県予選では、盲腸の手術で出遅れたエース・上田俊治に代わってマウンドを任されている。

 初戦から2試合連続完封の高津は、8強入りがかかった4回戦の安芸府中戦では初回に先頭打者本塁打を浴びるなど2点を失ったものの、徐々に調子を上げ、7回3失点で初登板の上田にスイッチ。準々決勝で上田が完投したあと、準決勝の尾道東戦では高津が5安打1失点で完投勝ちし、エースの負担を軽減した。

 チームが春夏連続の甲子園を実現できたのも、予選4試合で32回を4失点に抑えた高津の力投抜きには語れないだろう。

 甲子園まであと1勝の地区予選決勝で涙をのんだのが、高田商時代のDeNA・三浦大輔監督だ。

 春の奈良大会で投打の中心としてチームを準優勝に導いた三浦は、夏も春同様、決勝で谷口功一(元巨人など)を擁する前年の日本一チーム・天理と甲子園切符をかけて激突した。

 三浦は強打の天理打線から毎回の12三振を奪ったが、1対1の5回途中に降雨で試合が中断したことが明暗を分ける。試合再開直後に犠飛で勝ち越され、7回にも本塁打を浴びて1対3で敗れた。

「雨は関係ない。やっぱり天理は強かった」と“格上”相手に完全燃焼できたことに満足した三浦だったが、後日、谷口から「負けるかもしれないと思っていた」と“真相”を打ち明けられると、「何だよ、それ先(試合前に)言ってくれよ」と苦笑したという。

 日本ハム・新庄剛志監督も、西日本短大付時代の89年夏は、福岡大会決勝で福岡大大濠に4対6と惜敗しているが、その試合でサイクル安打を達成した。

 1番センターで出場した新庄は、初回に左前安打、3回に左越えソロ、7回に中越え三塁打を放ち、2点を追う9回にも自らの中越え二塁打を足場に2死一、二塁とチャンスを広げたが、次打者の長打性の打球が左翼手の美技に阻まれ、ゲームセット……。

 だが、「ヒットを打つことだけを考えた結果」がプロへの大きなアピールになった。

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「PL学園と対戦する」のが夢だった監督は?