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「無宗教」と話すと凍りつかれた

 私が大学生のころは学生運動が盛んで、経済学者で哲学者のカール・マルクスを読まなければ知的でないという空気感がありました。

 マルクスは、『ヘーゲル法哲学批判』の中で、宗教を「民衆の阿片」に例えています。

 その比喩は強烈でした。同時に、異なる文化圏の人びとは宗教を、どのように捉えるのか、という点に興味がわきました。

 そうしたこともあって、外務省の研修所での言葉が、一層印象深く記憶に残ったのです。

「無宗教主義者」という言葉を、外国の人を相手に試す機会は、まもなくやってきました。

 24歳のとき、外務省の研修制度を利用して英ケンブリッジの大学院に留学する機会を得ました。「atheist」という難しい単語を覚えたばかりの私は、すこしばかり得意になっていました。また、私の家は代々曹洞宗ですが、私自身はお寺に行くのはお盆や初詣ぐらいで、熱心な仏教徒ではない。信仰心の篤い欧米などのキリスト教徒を前に「Buddhist(仏教徒)」と口にするのもはばかられました。

 謙虚な気持ちも込めて、

「I’m an atheist(私は無神論者です)」 

 と説明しました。

 しかし、同世代である20、30代の英国人、米国人の若者も、下宿先のおばさんも、一様に反応がおかしい。

「atheist」の単語を使うと、みな一瞬凍りついたような表情をして妙な雰囲気が漂う。

 それで、この言葉は問題だと気がつきました。

「無宗教主義者・無神論者と伝えたければ、覚悟が必要だーー」

 研修時代に教えられた言葉が脳裏によみがえりました。

日本人は、十分「仏教徒」「神道家」

「atheist」はラテン語に由来する単語です。

「a」は否定、「the」は、神を表します。中世欧州で盛んであった神学は、theologyです。「ist」は人につける語尾です。まさに神を否定する、強い単語です。知識として頭にはありましたが、信仰の篤い人たちを前に実践してみて初めて、思い知らされたのです。

 生真面目な日本人は、外国の人を相手にすると敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒に違いないと思い込んで、萎縮する傾向にあります。自分は仏教徒や神道家などと言いづらいかもしれません。しかし、欧米や海外の人も、日曜日は教会に通い食事のたびに祈りを捧げるような熱心な信仰心を持つ人から、お酒が禁じられた宗教でも飲んでしまう人まで様々です。

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