延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)

 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は山下達郎さんと中野サンプラザについて。

【写真】当日のチケットがこちら

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「山下達郎 PERFORMANCE 2022中野サンプラザホール 全席指定 1階12列8番」

 このチケットを僕はずっと大切に保管することだろう。開演前、舞台美術を永遠に目に焼き付けようと、ひとり開演を待っていた。

 放送30周年を迎えたサンソンこと「山下達郎サンデー・ソングブック」(TFM系日曜14:00~)風に言えば、「中野サンプラザという最高のホールで、最高のライブがこれから始まる!」

 開演5分前の1ベルが鳴り、僕は目を閉じた。いつになく緊張したのは、サンプラザで達郎さんのライブを観るのは最後になるかもしれないからだ。

 中野駅北口のサンプラザは今年夏閉館、大型複合施設に建て替えとなる。

 このホールは細部まで知っている。中学時代は地下の(凍えるほど冷たい)プールに通ったし、FM局に入ってからは公開録音やイベントで何度も足を運び、「新宿・創業昭和二十二年」と銘打たれた「エスキモーアイスクリーム」を頬張った。

 この「サンプラ」をホームグラウンドにしているのがほかならぬ山下達郎さんだ。僕ら東京っ子にとって、達郎さんのライブに行くということは、決して大げさでなく、束の間、思索の旅に出ることと同義である。演奏楽曲はもちろん、合間のMCに至るまで含蓄に富み、深い思考と豊かな教養に裏付けされた批評性を人生の糧と思いながら帰りの中央線に乗る。

「こんにちは、サンプラザ! 本来なら8月でしたがコロナで1月になってしまいました」

 鮮やかなオレンジ色のシャツにブルージーンズの達郎さんがステージに現れた。

「ひょっとしたら最後のサンプラザになるかもしれない。このホールからすべてが始まった!」

 達郎さんが初めてサンプラのステージに立ったのは1980年、『ライド・オン・タイム』をリリースした頃。それから43年。僕は大学生だった。彼のギターカッティングに心が震える。このカットが文字通り青春を刻んできた。時代のメロディーに身を揺らせながら、僕は山下達郎をサンプラザで聴く意味を考え始めていた。答えを何とか見いだしたい。

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延江浩

延江浩

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー、作家。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞、放送文化基金最優秀賞、毎日芸術賞など受賞。新刊「J」(幻冬舎)が好評発売中

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