齋藤薫さん
齋藤薫さん

 今はまだ、一つの賑(にぎ)わいとして“100人規模の友達”を楽しむ時期なのかもしれないけれど、やがてはそうしたSNS上の友達も、自然に淘汰(とうた)されていくのだろう。

 そして、改めて友達を作る難しさ、人生の後半に向けて、友達を残す難しさを思い知ることになるのかもしれない。

 そう、人生において、友達というものを再考することになるタイミング、それもまた一つのセカンドステージの始まりなのではないかと思うのだ。もちろん20代、30代と、各年代、人付き合いに悩む場面にはたくさん遭遇するのだろう。

 同僚、ママ友、近所付き合い……でもそうした、ソサエティーにまつわる人付き合いではなく、本当の意味で友達とは何か? 自分の友達とは誰か? それを深く深く考えることになるのが、セカンドステージに入る節目(ふしめ)ではないかと思うのだ。

 でもなぜ、セカンドステージ? 人生の前半は、どこか無我夢中で、友達という、言うならば“人生のオプション”についてゆっくりと吟味(ぎんみ)する時間がなかったりする。だから、一つの成り行きで友達を増やしてきている場合、あるタイミングでそれらの友達を改めて取捨選択したいという気になるはずなのだ。

 それも、人生の後半になると、にわかに人生の全貌(ぜんぼう)が見えてきて、“一生もの”という言葉も急に現実味を帯びてくるから。「この友達と一生付き合えるのかどうか?」――それを自らに問いかけることになるからこそ、友達をもう一度吟味したくなるはずなのだ。

 私は、若い頃から友達について一つの基準を持ってきた。“友達とは、一生付き合い続ける人”だから、女性と親しくなる過程には、結構な時間をかけてきた。

 たとえばだけれど、あっという間に仲良くなって、あっという間に一緒に旅行などに行ってしまう……そういうことを避けてきたのだ。相手をよく知らぬ間に、旅行などに行ってしまうと、また、あっという間に疑問を持って、あっという間に一緒にいることが苦痛になって、仲違(なかたが)いをしかねないからだ。

 恋人や夫婦関係の破綻(はたん)は、もちろん大きなダメージがあるものだけれど、別の意味で、“女同士の破綻”も精神的なダメージは大きい。男性との別れよりも、女友達との絶交のほうが、むしろ人嫌いに陥(おちい)りがちなのだ。

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一生付き合える人とは誰か?