合同結婚式が開かれる韓国の旧統一教会の施設「清心平和ワールドセンター」
合同結婚式が開かれる韓国の旧統一教会の施設「清心平和ワールドセンター」

 当時、その「ホーム」にいた全員が合同結婚式に申請していたが、教会からは「メシア(文鮮明)の選んだ人と結婚する」「一般の恋愛結婚はサタンの世界だから不幸になる」と言い聞かされていた。

「恋人がいた人は、ホームに入った段階で別れさせられていました。当時は、教祖がマッチングした相手を断ることができないという条件付きの結婚でした。みなさんそれぞれ葛藤はあったとは思いますが、群集心理のようなものが働いて、誰一人として『嫌だ』『おかしい』などとは言えず、選択の自由が奪われていました」

 当時21歳だった冠木さんの結婚相手は、2歳年下の韓国人男性(当時19歳)に決まった。冠木さんによると、「ホーム」にいた9割近くは韓国人とマッチングし、日本人同士は1割もいなかったという。祝福献金として教団に140万円を支払い、ウエディングドレスと教会のマークが入った指輪を自費で用意した。

 そして、1995年8月、韓国に出向き、ソウルオリンピックスタジアムで36万組の合同結婚式に参列した。結婚式の前日に婚約式があったが、この日、冠木さんは、写真でしか見たことない相手と初めて対面した。この時はまだ高揚感で胸が高鳴り、幸せになれると思い込んでいた。

 だが、現実は違った。

「韓国では旧統一教会が『結婚しませんか』と書いたチラシで勧誘するのですが、私の相手がまさに、他に行く当てがないような人で、結婚目的で教会に転がり込んだ男性でした。信仰を持つ者同士の結婚だと思っていたのですが、実態は36万組のために教会が数合わせでかき集めた人たちだったのです」

 挙式後、「聖別期間」と呼ばれる禁欲生活のために、日本と韓国で3年間離れて暮らした。聖別期間が終わると、夫が日本に来て東京で同居生活を始めた。女児を授かったものの、夫に定職がないことや家庭内暴力などに苦しめられた。ある日、夫の結婚理由が、日本で永住権を取得するためだったことがわかり、離婚に踏み切った。

 2000年代に入ると、教団は4億組の祝福カップルを成立させようと必死になった。教会側は何とか数をそろえようと相手探しに躍起となっており、2歳になる娘を抱えた冠木さんにも、再度、合同結婚式参加への声がかかった。

 冠木さんは逡巡したが、母親から「主(文鮮明)の国へ娘が渡っていくのに、何をためらうのか」と背中を押され、わが娘が父親となる男性を受け入れてくれるのか不安を抱えながらも、韓国に渡った。次の相手も韓国人男性だった。1度目の苦い経験もあり、男性の素性に疑問を抱いた冠木さんは結婚を断ろうとした。だが、教会側からは「この縁談を断れば娘が不幸になる」と恐怖を植え付けられた。まだ教団の洗脳状態にあったこともあり、正常な判断をすることも難しかった。

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