教会は男女交際禁止していたことから、年頃になっても恋人はつくらずに純潔を守った。父親のような男性とは結婚したくないという思いから、20歳ごろ、母親が勧めた「祝福(合同結婚式)」を受け入れることにした。
「恋愛を経験したことのなかった私は、祝福を受けたら、どんなに素晴らしい人生が待ち構えているんだろう、とバラ色の人生を思い描いていました。それほど、当時は教祖(文鮮明)の言葉をうのみにしていました」
合同結婚式の前に、身も心も神にささげる「献身」に入った。旧統一教会の教えでは、献身とは神に身も心も捧げることを指す。その修練として、冠木さんは、都内にあった「ホーム」と呼ばれる一軒家で、若い男女30人ほどと共同生活を送った。
「男女比では女性のほうが多く、地方から都会に出てきたばかりの人もいました。(入信は)職場で誘われたという人が多かったように思います。集団生活では自分のプライベートな時間は全くなく、精神的にも肉体的にも追い詰められていきました。『これはおかしい』と生活を振り返るような時間さえ奪われていて、今思えば、これが洗脳のやり方だったのだと思います」
「ホーム」では、朝5時に起床してお祈りを行う。平日は仕事をして、帰宅してから遅くまで教祖(文鮮明)が解明したと言われる独自の教え「原理講義」を受け、午前0時すぎに就寝。土日は朝から、「万物復帰」というボランティア団体を名乗りながら、ハンカチや靴下を訪問販売した。売り上げを教団への献金としてささげるためだった。
時には、「伝道」と称する勧誘活動もした。新宿駅などに出て、待ちゆく人の手相をみては、「素晴らしいですね」と相手をおだて、勧誘の拠点となる「ビデオセンター」に連れて行った。伝道されてきた人は「霊の子」と呼ばれており、たくさん連れていくほど信心が深いとされていた。
「『霊の子』を連れてくる人は、何人も引き連れてきました。勧誘するときは『幸せになれますよ』と言うのですが、私は頭の片隅で自分が幸せだとは思えなかったので、そのセリフが言えませんでした。だから、いつも『霊の子』を連れていくことができなかったのですが、今はそれでよかったと思っています」