かなり前に人形供養についてご紹介する記事(「注目の「人形供養」には2つの面が… 「物供養」の背景にある日本独特の文化とは」)を書かせていただいた。それから時代はずいぶんと変わったようである。というのも、知り合いのお寺の住職が「檀家から頼まれたら断れない」とおっしゃって、人形などのお焚き上げをするようになった(檀家の分のみ)と言っていたのだ。5年ほど前は、人形を供養するという風習も広く知られていなかったし、寺社の多くはぬいぐるみなどの持ち込みを断っていたくらいなのだが、日本人の何が変わって人形も家族の一員となってしまったのだろうか。
○古いモノには魂が宿ってしまう?
とはいえ、日本人は古来、「古い物には魂が宿る」という考えは持ち続けている。自分が生業を立てているモノを供養するという風習は、今も残る「針塚」「筆塚」「櫛塚」「ハサミ塚」など、聞けばどのような職業の人たちによる供養塚なのか想像に難くないものばかりである。日本昔ばなしにも、古いものが人々に災いをもたらす話もあるし、狭い国土の中でモノを大事にするという考え方を浸透させる口伝でもあったのだろう。古着に至っては、江戸の町の半分を焼いた「明暦の大火」(別名振袖火事)を引き起こしたという説まであるくらいだ。
○人形供養はどこまで進む
今では、葬儀屋でも人形供養をしてくれるところがあるという。ペットの葬式だけでも随分進化したなぁと思っていたが、確かに祖母などから受け継いだ、市松人形やフランス人形を粗末にするのはやっぱり怖いかもしれない。だが、お寺に持ち込まれた人形にはUFOキャッチャーで取ったのではないかと思われるようなキャラクターものもあったりして、少し違和感を覚えてしまうのだが……。そんな人形供養という風習が、一般に広まったのはやはり京都のお寺・宝鏡寺が与えた影響が大きかったのではないだろうか。
○人形寺・宝鏡寺の誕生
宝鏡寺は尼門跡寺院(皇族・公家出身の尼僧が住職を務める寺院)で、「百々御所(とどのごしょ)」と呼ばれた時代もある。多くの内親王が入寺していたことから、天皇をはじめ父から娘へと折に触れ人形が贈られていたため、寺には古くから由緒ある人形たちが大事にされてきた。これらは内々に公開されてきたが、昭和32(1957)年に各方面からの要望に応える形で、人形展へと広がっていった。その後、人形製作の関係者によって人形供養祭も併せて行われるようになり、境内には人形塚も建立されるに至る。この供養祭は毎年10月14日に開催され、舞や和楽器の奉納とともに、全国から寄せられる人形やぬいぐるみの供養が広く知られるに至り、いつしか宝鏡寺は「人形の寺」と呼ばれるようにもなった。