阿部和重さん(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)
阿部和重さん(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)

――ちなみに映画評論を書かなくなったのは、どういう考えからですか?

 いろいろあるんですが、あまり前向きな話ではないですね。ひとつ言えるとすれば、自分が書く必要性を感じなくなった、ということですね。そもそも観ている本数も大して多くはありませんし、最新の議論も追えていません。専業の評論家や研究者の方たちとの交流もまったくないので、論ずる資格もないわけです。

 ただ“これはぜひ書かなくてはならない”というときはお引き受けしています。今年の3月に(映画監督の)青山真治さんが亡くなった際は、追悼文を4つの媒体に書きました。この依頼はすべて受けると決めて、リアルタイムで映画を観たときには言及できなかったこともふくめて全力で書かせていただきました。またその直後には、蓮實重彦さんがついに「ジョン・フォード論」を書籍としてまとめられ、文芸誌の『文學界』から「座談会(特集 『ジョン・フォード論』を読む 蓮實重彦×阿部和重×三宅唱×三浦哲哉 フォードの「うまさ」とは何か)に出席してほしい」という依頼がありました。そのときも「これはやらねばならない」と思い、フォードの映画を40本以上鑑賞し直し、万全の態勢で臨みました。

■「生きることだけは手放さなくていいんじゃないか」

――『Ultimate Edition』の最後の2本は、日本が舞台です。「Neon Angels On The Road To Ruin」はガソリンスタンドに勤務していた中年男性が職を失い、車泥棒に手を染める話。そして「There’s A Riot Goin’ On」はテロを企てる若い男性が主人公ですが、どちらも悲惨な結末をギリギリで回避している印象がありました。

 その2編の主人公格のキャラクターは、いわゆる「社会の隅に追いやられた存在」です。人生が上手くいかず、困難に直面している。本人の努力不足が招いた面もありますが、しかし同時に、社会の仕組みが彼らをそういう状況に追いやっている事実も否定できない。

 「Neon Angels On The Road To Ruin」の主人公は大きなヘマをしたわけではなく、世界的な自動車産業の変化のなかで仕事を失ってしまう。その後の当人の選択により、アウトサイダーの道を歩んでしまうことになるわけですが、そうした状況に陥った人間が社会に翻弄されつつサバイブする姿を描きたかった。仮に似たような状態にある人が読んでくれたとして、「生きることだけは手放さなくていいんじゃないか?」と思えるような読後感を狙ったところもありますし、不可能と思われたことが絶望的状況下で一瞬だけ実現する、奇跡的な場面を書きたいという思わくもあった。

 「There’s A Riot Goin’ On」の主人公は、テロを起こす一歩手前までいってしまう。そこに至るまでには本人の被害者意識だったり、いろいろな要素が組み合わさっていて、彼の行動はもう変えることができない。しかし、もはや実行は止められないとしても、せめて方向性をずらずことはできないだろうかと考えたんです。絶望的状況は変えられないにしても、ほんの一点だけでもポジティブに感じられる結果に結びつけられたらというモチベーションで書いた作品ですね。

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