「英国との親密度を考えれば、訪問はもう少し早く実現してもよかったかもしれない。しかし、下地を整えるのに時間が必要だった」
アジア各地の劣悪な環境の下で長期にわたり強制労働をさせられた元捕虜のほかに、収容所には女性や子供も含む民間人もいた。心の傷は簡単に癒えるものではなかった。
両陛下の訪英直前まで、両国トップは、不測の事態を招かないよう、手を尽くした。当時の林貞行駐英大使も、前任者の時期から日本の民間団体とも協力して、和解への努力を続けてきた。英大衆紙「サン」に捕虜の扱いを謝罪する橋本龍太郎首相の寄稿文が掲載され、両国首相の会談で協力を確認。
だが、多くの英国紙には捕虜問題を訴える記事が並び、一部大衆紙は「ジャップ」と批判した。
そうしたなか実現した98年の英国訪問。
ロンドンの大通りザ・マル。バッキンガム宮殿に続く800メートルの沿道は、天皇、皇后両陛下のパレードを待つ日英市民らで埋め尽くされた。さらに、旧日本軍の元捕虜団体も沿道に並んだ。両陛下の馬車に背を向け、シュプレヒコールを浴びせた。
不穏な状況にもかかわらずテロや両陛下に危害を加える事件は起こらなかった。
エリザベス女王と王室が盾となって平成の天皇と皇后を守ったからだ。
馬車のパレードの先頭はエリザベス女王と明仁天皇、2台目の馬車には夫のフィリップ殿下と皇后美智子さまが乗る形を取った。馬車の周囲には、大勢の近衛騎馬隊が整然と隊列を組んだ。
元英国兵らの抗議を受け、戦争の傷痕を確認する旅となった。そんな中でも女王との友情は揺らぐことはなく、出国の際は女王が最後まで名残を惜しんだ。
皇室も英王室も長い歳月をかけて相手と交流を重ねることで、国と国の信頼へとつないでゆく。政治家による外交と比べるともどかしいかもしれない。しかし、静かな交流が大きな力へと変化することもある
上皇さまが手紙で、「Dear Sister」と呼び敬愛したエリザベス女王。偉大な英国女王の国葬は、19日に執り行われる。(AERAdot.編集部 永井貴子)