浩宮さまが誕生した時、女王は、祝電を寄せて浩宮さまの誕生を祝っている。
実は、女王も4日前に第二王子のアンドリューを産んだばかり。体調が万全でない身にもかかわらず、見せる気遣いに人柄がにじむエピソードだ。
数日違いで生まれたアンドリュー王子との交流は続き、英国での王子の結婚式にも参列している。
浩宮さまと女王が再会したのは8年後の83年。
オックスフォード大学に留学するためにロンドンに到着した浩宮さまを、安心させる心遣いだったのだろう。女王はバッキンガム宮殿に招き、自ら紅茶を入れた。
翌年の夏には、王室ご一家が休暇を過ごすスコットランドのバルモラル城に招かれた。エリザベス女王が台所に入り、エジンバラ公がバーベキューの肉を焼く。家族団らんのなかで数日間、一緒に過ごした。
令和に代替わりをして、新天皇、皇后両陛下が初の外国訪問地として招待されていたのも英国だった。
天皇陛下は、女王の死去を受けて公表したお気持ちで招待してくれた女王への感謝を述べている。
「女王陛下から、私の即位後初めての外国訪問として、私と皇后を英国に御招待いただいた」
こうした天皇陛下と女王との親密な交流は、上皇ご夫妻の代からの地道な交流の上に築かれたものだ。
■競馬場でのいたずら
上皇さまが、初めて女王と対面したのは69年前、1953年の戴冠式だ。明仁皇太子(上皇さま)が19歳、エリザベス女王は26歳だった。
還暦の誕生日会見で、女王との対面をこう振り返っている。
「英国の女王陛下の戴冠式への参列と欧米諸国への訪問は、私に世界の中における日本を考えさせる契機となりました」
53年という年は、第2次世界大戦に敗れた日本が国際社会に復帰した翌年。敗戦国である日本や日本人を見る世界の目は厳しかった。
19歳の青年だった明仁皇太子(上皇さま)にとっては、大切な友人となる各国の王族との出会いの場であると同時に、英国民の冷たい視線にさらされた場でもあった。第二次世界大戦後の両国の関係は、今からは想像がつかないほど溝が深かったのだ。