たとえば子どもたちがただ無邪気にはしゃいでいるとき、「やっぱりアメリカの血が入っているから、自分がはっきりしているね」なんて言われる。お弁当にアメリカ風のピーナッツバター&ジェリーサンドイッチを持たせたとき、「やっぱりアメリカのランチってこれくらい簡単なものだけなんですね」と言われる。子どもの言葉が遅れていると、「やっぱりおうちで英語を使ってるからですかね」と言われる。また直接自分が言われるのでなくても、「あそこのお宅は両親が外国人だから行事にはいつも遅れてくるよね」という言葉を耳にする。いいことも悪いことも「やっぱりハーフだから」で片づけられ、ハーフ(外国人)とはこんなもの、という偏見がある。そんなことの積み重ねで、こうなったら日本人以上に日本人らしくしてやる、と気負うようになりました。

 実際、日本人らしく振舞っていると肯定的な言葉をかけられることが多い。冬至や節分など季節の行事を子どもと祝っていると「お父さんアメリカ人なのに、ちゃんとやるんですね」とか、子どもたちは完全なる日本語ネイティブなのに、「お子さん日本語上手だね」とも言われます。すると日本人の母としては、子どもに合格印を押してもらえたようで安心するのです。よく考えたらこれらは全然ほめ言葉ではない、マイクロアグレッションとも受け取れる物言いなのですが。子どもの気持ちになってみたら、きっと全然嬉しくないでしょう。

 息子が転んで泣いた月曜の朝、もし私が心から子どもの気持ちを考えていたら、息子を真っ先に抱きしめ、「大丈夫? 痛くなかった?」と訊くべきでした。相手の親御さんの目を気にしている場合ではなかった。心の中で「アメリカ人のおうちの子は謝るべきところで謝らない、やっぱりアメリカ人は不遜だ」なんて、言われてもいない架空の悪口を膨らませて必要以上に頭を下げることはありませんでした。「やっぱりハーフだから」と言われたくない自分自身が、結局わが子のことをいちばんよく見ていないのです。

〇大井美紗子(おおい・みさこ)
ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

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