三越は百貨店の元祖

 百貨店の外商の歴史は古い。というか、外商こそが百貨店ビジネスの源流といえる。

 話は江戸時代にさかのぼる。

 百貨店のさきがけとなった三越の発祥は1673(延宝元)年に三井高利が創業した越後屋で、その後、三井呉服店と名を変えた。高島屋は1831(天保2)年に、伊勢丹は「伊勢屋丹治呉服店」として1886(明治19)年に創業した。

 三越、高島屋、伊勢丹はいずれも呉服店の流れをくむが、もともと呉服店は金持ち相手の商売で、訪問販売はその柱だった。反物を抱えて裕福な家を訪れ、品物を選んでもらい、それを仕立てて、また届ける、というのが本来の商売だった。つまり、「外商」はその名残なのだ。

 呉服店が庶民に対して商品をそろえるようになったのは、三井呉服店が商号を三越呉服店と改めた1904(明治37)年に行った「デパートメントストア宣言」からである。

 それまでの反物には値札がついていなかった。そのため、庶民は気後れしてしまい、金持ちしか店に入ってこられなかった。ところが「デパートメントストア宣言」をきっかけに値札をつけた「正札販売」が行われるようになると、庶民が商品を手にとって買えるようになった。それが呉服店を源流とする百貨店の始まりである。

「呉服系」か「電鉄系」か

 百貨店には呉服店を始祖とする「呉服系」がある一方、西武百貨店、東急百貨店、阪急百貨店、阪神百貨店など、かつては鉄道会社を親会社とした「電鉄系」がある。

 都市から郊外に向けて鉄道が敷かれるようになった時代、周辺部の人口がどんどん増えていった。その客を目当てに鉄道会社は起点駅などに次々と百貨店を建てた。それが「電鉄系」百貨店の始まりである。

 ただ、外商に目を向けると、同じ百貨店といっても、呉服系と電鉄系では、外商顧客の客単価がまったく異なる。

 呉服系百貨店の外商顧客は年間数千万円も購入してくれるような裕福な人たちである。例えば、顧客が、宝石が欲しいと言えば、外商担当者が宝石箱を抱えて、いそいそとやってくる。だが、電鉄系百貨店の場合、そんな顧客は少ない。

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