私が仁藤さんの名前を知ったのは、2016年に女性たち自らが企画した、「私たちは『買われた』展」だ。女性たちが自らの体験を文章にし、思いを写真にして展示したもので、今も各地で行われている。ブランドものほしさ、遊ぶ金ほしさに「売っている」と考えられていた女性たちが必死に出した声。「売った」のではなく「買われた」と言いかえることで見えてきたことはあまりに大きかった。
「買う男の人は率直にキモイです。あの人たちは女の人を下に見ているから」
仁藤さんを通して、そんな話をしてくれる女性たちに会ってきた。「ご飯をごちそうする」と言われコンビニでおにぎりを1個もらい、そのまま男の家に連れて行かれた女の子の話は強烈だった。中学生にしか見えない彼女の手をにぎり、堂々と交番の前を歩いたという。そういう男たちのずるさ、傲慢さ、暴力性を「キモイ」と力強く表現することが、彼女たちの唯一の抵抗でもあった。
仁藤さんに話を聞くなかで、彼女が差別的なものを感じると瞬時に、「キモイ」と言ってスッと心を閉ざす瞬間を何度か見てきた。それはまるでサバイブするための本能のように、仁藤さんのなかにあるセンサーなのだと思う。そのセンサーがあるからこそ、仁藤さんは女性たちを守れ、そして女性自身にあるそのセンサーを、鈍らせなくていいんだよ、と言い続けているのだ。女の子が「キモイ」と感じられる感性は、自分を守るための大切な直感だから。もう身を守るために緊張しなくていい、ご飯を食べて、話をして、安心してぐっすり眠れる場。食い物にする大人ではなく、対等に話せる優しい関係があるのだと信じられる場をつくってきたのが、Colaboだ。そういう仁藤さんが、政治問題に率直に発信し、買春する男性をまっすぐに批判するのは当然だろう。
Colaboへの攻撃は、それだけColaboの活動が世に影響を与えてきたことの証しでもあろう。もの言う女性への攻撃、フェミニズムへのバックラッシュはくり返され続けているが、それでも、Colaboの活動を支援する声も決して小さくはない。仁藤さんへの攻撃に対し、桐野夏生さんら文化人をはじめ、多くの人が支援の声をあげ始めてもいる。
2023年が始まった。Colaboをはじめ、若年女性支援団体関係者にとってはつらい年明けになってしまったが、このことによって現場が萎縮しないことを望みたい。それにしても、このバックラッシュの正体については、丁寧に考えていきたいと思う。いわゆる“ネトウヨ”と呼ばれる人々を増産し、ヘイトスピーチを助長するような空気をつくってきた安倍さんという“大きなリーダー”が亡くなったことと、今のこの空気はどのようにつながっているのかなど、安倍さん不在後のネットの世界、女性をめぐるリアリティーについても、考察すべきことなのかもしれない。
少しでもマシな世界になりますように。祈るようなそんな気持ちだ。