AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。
【写真】文月悠光さんの著書『パラレルワールドのようなもの』はこちら
『パラレルワールドのようなもの』は、文月悠光さんの著書。6年ぶりとなる文月さんの第4詩集。2016年から22年に書かれた詩から、26篇を収録。「わたしが透明じゃなくなる日」の後半は、第1詩集に収録されている「私は“すべて”を覚えている」へのアンサーでもある。文月さんに、同書にかける思いを聞いた。
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10歳で詩を書き始めたから、もう20年、詩と共に生きている。コロナは文月悠光さん(31)の詩作にも影響を与えた。
「緊急事態宣言が出たり、少し大きな声で話すだけで眉をひそめられるような状態もあり、しばらくコロナ禍に関する詩は書けなかったんです。ただ、日記だけはつけていました。騒動の中で忘れられていく存在や、無視される声をここに書いておくぞ、というような気持ちもあって」
そんなとき、コロナ禍の現状を反映したような詩を書いてほしいと依頼があった。その言葉に、文月さんは背中を押された気持ちになった。
「今、とても不安だけれども、詩の言葉なら、『いつかまた会おうね』という前向きな内容にできるかなと思いました」
書いたのは「誰もいない街」。希望の言葉が最後に綴られる。
薄明のわたしは きみの窓になろう。/きみの独りごとを聴く壁になろう。/きみの背中を抱く椅子になろう。/ドアになろう、きみがここを出るための。/誰もいない街で。/春となって きみを照らそう。/きみの声を遠く運ぶ風になれたなら──。/まぶたは 光をさがすことをやめない。
「パラレルワールドのようなもの」は、五輪開催直後に書かれた詩だ。開催反対の声が高まる中、国際オリンピック委員会の広報部長の発言がニュースになった。
「五輪はパラレルワールドのようなもの。我々から東京で感染を広げることはない」
文月さんの胸にその言葉は突き刺さった。この詩は、一転、強い言葉が並ぶ。