復元の進む駿府城。この地下に今川館が眠っている(写真/千田嘉博)
復元の進む駿府城。この地下に今川館が眠っている(写真/千田嘉博)
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 2023年のNHK大河ドラマどうする家康」では、松本潤さん演じる家康は幼くして人質となって今川館に入り、有村架純さん演じる瀬名姫を妻に迎える。その今川館だが、現在の駿府城の一角に建てられていたと考えられている。家康が人質といえども今川館で最高水準の教育を受けたことだけでなく、駿府城もまた近年の発掘調査によって、秀吉が築城させたという説に見直しが迫られている。

【復元した駿府城東御門や、駿府城で発掘された家康の天正期大天守台石垣の写真はこちら】

 国内外の城に精通し、テレビ・ラジオや講演で大人気の城郭考古学者・千田嘉博先生の最新刊『歴史を読み解く城歩き』から、一部抜粋し、今川館での少年家康の境遇、その後、秀吉と比肩する有力武将家康がその地に築いた駿府城の革新性を紹介する。

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【今川館】義元のもとで最高の教育を受ける

 近年、浜松城をはじめ、徳川家康ゆかりの城の調査が行われており、城から家康を捉え直せるようになってきた。そこで城の最新成果にもとづいて家康を考えていきたい。家康が生まれた三河は戦国期には武士が分立し、家康の父、松平広忠は三河の主権をめぐって戦った。その戦いは一族間だけでなく、西の織田信秀、東の今川義元がからんで混迷を極めた。

 1547(天文16)年には今川義元と連携した信秀が三河へ進攻し、松平一族の安祥城(愛知県安城市)を攻め落とし、松平氏本拠の岡崎城(愛知県岡崎市)を包囲して広忠を降伏させた。家康はこの年に織田家へ人質として出された。

 従来は今川の人質になる道中に家臣が裏切って織田の人質になったと説明されたが、広忠が信秀との戦いに敗れたので、家康は信秀の人質になったと考えるべきだろう。家康はこのとき6歳。最初から「どうする家康」である。

 いったんは連携した信秀と義元はすぐに決裂し、岡崎城の南東九キロの丘陵地帯が松平を巻き込んで織田・今川がにらみ合う最前線になった。その最中の1549(天文18)年に広忠が死去してしまった。義元はこの機を逃さずに軍事攻勢をかけて信秀を圧倒し、西三河を制圧して織田が押さえていた安祥城も奪った。

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