作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、差別発言について。
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そういえば、私、「隣に住んでました」。
荒井勝喜・前首相秘書官の「(同性カップルなどは)隣に住んでいたら嫌だ」という発言が報道され、忘れかけていた過去を思い出した。
当時私は、生物学的には女性で社会的には男性として生きている人(トランス男性)と暮らし始めたばかりでした。一緒に新しい生活をスタートすべく、某街に引っ越してわずか3カ月経ったばかりのころ、恐らく私に関する記事を読み、私たちがセクシュアルマイノリティー(セクマイ)に属すと知った隣人に、文字通り、こんなことを言われたのです。
「出ていってほしい。はっきり言って、気持ち悪い。あんたたちみたいな人間はまず精神病院(←正しくは精神科病院です)に行けばいい。ここじゃなくて歌舞伎町に住めばいいんだ」と。
……字面を追うと、本当に言われたことだとは思えないほど酷いのだけれど、世の中には、荒井氏だけでなく、本当に口に出しちゃう人がいるのです。それも、パートナーと2人で帰宅したとき、たまたま鉢合わせしたという無防備なタイミング。恐らくその人は私たちが帰ってくるのを待ち構えていたようなのですが、鬼のような形相でパートナーのほうを見つめ、心からの嫌悪の表情を剥き出しにしての「精神病院に行け、歌舞伎町に行け」はいまだに耳の奥底に声として残ってしまっています。あまりのことにパートナーは真っ青になり言葉を失い、私は私で「はぁ? 何言ってるのかわかってるの?」と声を荒らげたり、「歌舞伎町じゃなくて二丁目じゃないの!?」と口走ったりと、後になって自分たちの非力とまぬけさに「こんな酷い目に遭うという想定をして生きてかなきゃいけないのか」とさめざめと泣いてしまった夜でした。今も、あのときのあの人の目を思い出すと、ざわついた気持ちが抑えられません。
それから私たちは3週間で引っ越し先を決め、逃げるようにその街を後にしました。2人で見つけた家、2人で決めたその街の環境も気に入っていたけれど、その人の隣人であることが安全じゃなくなったから。逃げないとか、対話を試みる、という選択肢は一切ありませんでした。逃げなければ心が死ぬし、対話をすればするだけこちらがすり減るからです。