成人式で熊本に帰省した長男とともに。次男は中学3年生=2011年1月10日(粂昭苑さん提供)
成人式で熊本に帰省した長男とともに。次男は中学3年生=2011年1月10日(粂昭苑さん提供)

――それで現役合格とは!

 予備校に通って、直前講習も受けましたよ。試験当日、数学と物理で塾でやったことのあるような問題が出て、そんなんで受かりました。

――ずっと一緒に暮らしてきた和彦さんが「独立」されたのは2013年ですね。

 上の子は大学に受かって東京に行き、下の子はまだ本にいるときでした。名古屋は主人の生まれ故郷なので、良かったと思います。私はどうしようかなと思い、弟が東京で仕事をしていることもあり、東京がいいと思っていろいろ応募書類を出しました。それで東工大に採用されて、2014年12月に着任しました。

 子どももいて、子育ても楽しみながら、サイエンスも諦めずにやれたのは、良かったと思います。私は就職に苦労しなかったように見えますが、サイエンスをいかに追究するか、その過程でいろいろ苦労はありました。そういうとき、パートナーがすごくサポートしてくれたし、いつも背中を押してくれた。私たちの境遇は二人三脚みたいでした。

 自分のことを振り返れば、子どもが生まれたことで、あまり迷いもなく研究員として長く続けられた。御子柴研には博士課程時代も含めて10年いました。さらにボストンのハーバード大学で3年間。普通だったら、任期付きではない安定した職に早く就きたいと思うのでしょうが、私はそうした焦りをほとんど感じることなく実績を積むことができた。それが結果的に良かった。

 研究内容はボストンからずっと変わっていません。幹細胞から膵臓の細胞への分化がどうすれば効率よくできるか、培地の成分をどのようにすればいいのか、といったことを探っています。熊大から東工大に移ってくるときに見つけたことが2つありますし、企業との共同研究もしています。培地の特許もとりました。

 ただ、糖尿病の患者さんに役立つようにするにはまだまだ課題があります。効率をもっと上げないといけないし、安全性を確かめていく必要もある。iPS細胞から目的の細胞ができるまで1カ月以上かかるので、その間の品質管理も難題の一つです。つくった細胞をどういう形で体内に入れるのがいいのかも、まだ研究途上。一歩一歩、着実に研究を進めていきたいと思っています。

粂昭苑(くめ・しょうえん)/1962年、台湾・台北市生まれ。東京大学大学院薬学系研究科修士修了、帝人で働いたのち、大阪大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士(大阪大学)。日本学術振興会特別研究員、科学技術振興事業団創造科学技術推進事業(ERATO)「御子柴細胞制御プロジェクト」研究員を経て米国ハーバード大学に留学、2002年に熊本大学発生医学研究センター教授、2014年12月から東京工業大学教授。

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