もともと主人は「女性のほうが就職は難しいだろうから、先に就職先を探していいよ」と言っていたんです。別に私はどちらが先でも良かったんですが、たまたま熊大の話が入ってきて、当時はヒトES細胞を使っている人がまだ少なかったこともあって、トントン拍子に話が進んだ。最初は助教ポストはあるということだったんですが、向こうの先生が「ご主人も来てくれるなら助教じゃいけないよね」と言い出して、准教授ポストをつけてくださった。
――すでにお子さんがいらしたんですよね。
はい、2人いました。子育てでは主人は「戦友」だったんです。当時はまだ子どもたちも小さくて、お互いに一緒にいたほうがいいと思っていたんです。でも、なかなか両方一緒にポストをとれるということはないので、熊大の提案を伝えたら「行くよ。僕はそのうち何とかなるよ」って。熊本は子育てするにもいい場所だろうとも話しました。
――夫婦で教授と准教授って、どんな感じだったんですか?
私は、それまでずっと研究員だったんですよ。それでいきなり教授になった。主人のほうは、アメリカに留学する前は東京大学医学部の助手をしていたので、そのとき実務的なことをずいぶんやっていた。それで、いてくれてすごく助かった。いろんなことを相談しました。
――大学のお部屋は別々?
いや、お部屋はそんなになかったので、一つの部屋でした(笑)。研究は、それぞれ別のグループを作って進めました。
主人は米国に留学してすぐに運よくいい論文が出せて、その後ハーバード大学のラボからタフツ大学に移って、そこで睡眠の研究を始めました。熊本に帰ってまもなく『時間の分子生物学 時計と睡眠の遺伝子』(講談社現代新書)という本を書き、講談社出版文化賞をいただきました。分子生物学的に体内時計の研究をしながら、医者として睡眠医学を専門にし、熊本に11年いて、今は名古屋市立大学大学院薬学研究科の教授をしています。
――それにしても、「お先にどうぞ」と言ってくれる男性は日本でめったにいないと思います。
何か、性格的にそういうことをしちゃう人なんです。自分よりも先に相手のことを考える。私に対して特別にというわけではなく、多くの人に対してそうなんだと思います。そういえば、フェミニズムの勉強を大学生のときにしていましたね。それで「家庭内アファーマティブアクション」なんて言っていた。