似た構図だったのが73年1月、米国がベトナムから60日以内の撤兵に合意した「パリ協定」だ。協定には米国が後押ししてきた南ベトナム政府も署名したものの、米国が手を引くと当然、南ベトナム軍の士気は低下。北ベトナム軍が75年3月から大攻勢に出ると南ベトナム政府は米国に救いを求めた。

 だが当時のフォード米大統領は「わが国にとっては戦争は終わっている」との声明を発表。南ベトナムは見捨てられた。北ベトナム軍は4月30日にサイゴンにほぼ無血で入城し、ベトナム戦争は終結した。国際政治は「価値観」よりも利害で動くことが多いのだ。

 ベトナム戦争中、米国は「共産軍が南ベトナムを支配すれば、東南アジア全域に共産主義が広がる」と「ドミノ倒し」論を唱え、その防止をベトナム戦争の大義としていた。だが実際にはベトナム戦争終了後、カンボジアなどでの「余震」はあったものの、東南アジアは全般的には安定化し、経済成長が始まった。(軍事ジャーナリスト・田岡俊次)

AERA 2020年3月16日号より抜粋

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