「決してわがままを言っているのではない。努力をしても住まいが見つからない。最低でも住まいは保障してもらいたい」

 福島県によれば今も自主避難者は全国に推計約1万5千人いる。多くの自主避難者が感じているのが、一方的な線引きによって「国に見捨てられた」という思いだ。

「この国はこんな国だったかと思います」

 名古屋市に住む岡本早苗さん(41)は言葉を強める。08年、福島の自然環境に惹かれ、一家で千葉から伊達市に移り住んだ。温かい地域の人たちに囲まれ、楽しく暮らしていた。

 伊達市は第一原発から北西に約60キロ。原発事故が起きた時、岡本さんは妊娠3カ月。さらに1~7歳まで4人の子どももいた。子どもたちの命を守るため、身重の中、山形県にいる知人宅に避難した。約1週間後、実家のある名古屋に移動し、妹の家に身を寄せた。

 だが、落ち着くことはできなかった。気を使う生活、避難したことへの迷い……。精神的に不安定になり、心のバランスを崩した。幻聴が聞こえ、子どもたちから話しかけられても体が動かなかった。夫とは、避難をめぐる考え方や価値観の違いが生じ、やがて別居。一昨年、正式に離婚した。今は友人とルームシェアをして暮らし、派遣社員で働きながらシングルマザーとして5人の子どもを育てる。

 心の傷は避難者同士のつながりなどで少しずつ改善していったが、5年前に乳がんを発症した。抗がん剤治療と摘出手術をし、今も治療を続けている。がんになったのは原発事故による「被曝」の影響ではないか、との疑いがぬぐえない。

 原発事故は家族一緒に平穏に暮らす夢を壊し、多くのものを奪い去った。それなのに自分たちは支援の対象から外され、意見や気持ちは無視されてきた。住宅支援は一方的に打ち切られ、福島に帰還せざるをえないように追い込まれているが、到底安心できない。

「黙っていられない」

 岡本さんは国と東電の責任を求め、愛知県などに避難した避難者とともに裁判を起こし今も闘っている。

 先は見えない。それどころか、毎日生きるので精いっぱい。それでも頑張れるのは、こんな思いからだ。

「原発は国策民営で進められ、その中で事故は起きた。国は事故の責任をとって、私たちの存在を認めてほしい。あの原発事故は忘れてほしくない」

(編集部・野村昌二)

AERA 2020年3月9日号より抜粋

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