「病気であっても、病人でない」「八方ふさがりでも天は開いている」。がん哲学外来を提唱した樋野興夫さんは、そんな言葉を贈り続ける。いま、樋野が始めた「がん哲学外来メディカル・カフェ」は全国約170カ所まで広がり、多くのがん経験者や家族らが集い、力を得る。無医村で育ち病理医となった樋野は、なぜ「哲学」に目覚めたのか? 温かなまなざしが育まれた軌跡をたどると、ある「芯」が見えた。
紺色のややくたびれた感じのスーツに青いワイシャツ、ネクタイも紺色で細めと決まっている。
「近所に買い物に行くときもスーツだよ。ネクタイは1本。毎日締めていると、2、3年で擦り切れてしまう。ワイフに注意されるんだけどね」
樋野興夫(ひの・おきお 65)は、故郷の出雲地方のなまりで、ゆったりと語る。松本清張の『砂の器』でも知られるように、出雲は島根県なのにズーズー弁である。物腰は柔らかく、自身について「暇げな風貌」という表現を好んで使う。
樋野は病理医である。同時に、2000年ごろに「がん哲学」を提唱し、08年に「がん哲学外来」を立ち上げた。以来、数千人のがん患者や家族らと面談して、さまざまな言葉を届けてきた。
「言葉の処方箋(せん)だよ。無料で、副作用がないよ」
19年11月30日、東京・お茶の水で開かれた「がん哲学外来 お茶の水メディカル・カフェ」の個人面談に立ち会った。会場はお茶の水クリスチャン・センター8階のチャペル。机はなく、いすが向かい合わせに置かれている。樋野はいつもの服装で、カルテもない。「聴診器は対話」という。
50代後半ぐらいだろうか。初めて来たという女性は最初、こわばっていた。胸に腫瘍(しゅよう)があるが、精密検査を受ける決断がついていない。
「純度の高い専門性を持った、がん専門の病院で診てもらって。曖昧(あいまい)なままだと一日中悩むよ」
「そうなんです」
「病気になっても、病人ではないよ。自分でコントロールできることには全力を尽くし、コントロールできないことには一喜一憂しない」
「この10カ月、もやもや悩んでいて。純度の高い医療に任せるところは任せて、自分にできることに集中する。分けなきゃいけないんですね」
「そういうことだね。そうすると、たとえ問題が解決しなくても、悩みは解消するよ」
「すっきりしました。夫が『どうせ人は死ぬんだから』と言うので、恨んでいたんです。でも、怒りも収まりそうです。違う自分になれました」
いつの間にか、女性は進むべき道を自ら見いだしている。たった十数分で、表情が一変していた。