批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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東京大学大学院情報学環・学際情報学府の大澤昇平特任准教授が、ツイッターで差別的投稿をしたとの理由で1月15日付で懲戒解雇となった。
氏は昨年11月、自身が経営する企業では中国人を雇わないと表明し、その後も特定の国家や民族を攻撃する投稿を繰り返していた。解雇の判断は妥当だといえる。日本を代表する国立大学が教員のヘイトを放置したとなれば、国際的な信用に関わる。氏は寄付講座の教員として雇われていたようだが、民間資金ということで採用審査が甘くなっていなかったか。大学の責任は大きい。
しかしこの事件でより驚くのは、ネットで氏を支持する声が小さくないことである。じつは問題のヘイトについては、投稿直後から非難が相次ぎ、氏自身もいちどは謝罪の意を表明していた。ところがそれ以降、氏は問題の焦点をヘイトから大学側の対応の不備に移し、過激な発言で支持者を集めるようになった。その戦略は功を奏し、今回の発表をうけても大学の首尾一貫しない対応を批判する声は強く、なかには反ヘイトで氏を批判しているはずのリベラルの人々も含まれる。SNSの陣地戦では、氏は一定の勝利を収めている。大学の責任はますます大きいと言える。
それにしても、なぜ上記のような露骨なヘイトが、よりによって東大教員から発せられたのだろうか。大澤氏は32歳。人工知能の第一人者と目される同大の松尾豊氏の弟子であり、受賞歴もあり著書もある。けっして愚かな人物ではない。その人物像とSNSでの幼稚で攻撃的な発言とのあいだには大きな落差がある。それは個人の性格の問題であるだけでなく、教育の問題でもあろう。なぜこのような落差が生まれたのか。その理由を掴まなければ同じ過ちは繰り返される。
大澤氏は昨年12月23日のツイートで「文学部の論文は読書感想文」であり「誰も読みたくない」と記している。工学系出身の彼がそう言いたくなる気持ちはわかる。しかし実際は「読書感想文」を読みたい人々も数多く存在するのであり、それが世の中というものである。氏が教わるべきは、本当はそんな他者への想像力だった。
※AERA 2020年1月27日号