一方で、文部科学省は8月末、来年度予算の概算要求で、iPS細胞ストック事業の関連予算を今年度と同額盛り込んだ。文科省の担当者も「予算を確保していく方針は変わらない」と繰り返したが、「来年度からiPS細胞ストック事業の予算がゼロになるかもしれない」という話は関係者の間を駆け巡った。

 調整に乗り出したのは自民党だった。自民党科学技術・イノベーション戦略調査会に新たに設けられた「医療分野の研究に関する小委員会」は10月、財団が段階的に自己資金で運営できるように支援するという内容の決議をまとめた。委員長の古川俊治・参院議員(56)は「すぐに予算を打ち切るという声も出ていたが、数年間かけて事業が自立するようにしてもらいたい」と話す。

 11月11日、山中さんは東京都千代田区の日本記者クラブで会見し、公の場で初めて予算打ち切りの可能性について発言した。「一部の官僚の方の考えで国のお金を出さないという意見が入ってきた。いきなりゼロになるというのが本当だとしたら、相当理不尽だなという思いがあった」と赤裸々に語ったのだ。「国の官僚の方に十分説明が届いていないように思います。説明できるところは説明する」

 その言葉通り、山中さんは冒頭の公明党議員の会合や、大臣たちとの面会の日々に追われた。

 山中さんが強調するのは「アメリカの怖さ」だ。

 iPS細胞を使った臨床研究では、日本が世界をリードしてきた。世界で初めてiPS細胞を使った臨床研究が実施されたのは14年。当時、理化学研究所にいた高橋政代さん(58)らのチームが目の難病「加齢黄斑変性」の患者からiPS細胞をつくって、網膜の細胞に変化させて移植した。

 その後も同じく高橋さんらによる加齢黄斑変性、CiRAの高橋淳教授(58)らによるパーキンソン病、大阪大学の西田幸二教授(57)らによる角膜の病気を対象に、それぞれ移植が実施されている。

 山中さんも「iPS細胞を使った再生医療は日本が先行していた」としながら、「一番脅威に感じている」と挙げるのが、米バイオベンチャー企業ブルーロック・セラピューティクスだ。

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